窪田:たしかに、私も子ども時代には特に目的もなく友達と集まり、そこで自分たちが楽しいと思う遊びに夢中になっていました。ボールも遊具も、何もなくてもおもしろかった。
為末:そう考えると、スポーツのトレーニングは遊びではないんですよね。トレーニングは向上を目指していますから、目的がある。
窪田:おもしろい考えですね。
為末:「無意味性」でいうと、以前、「外遊びをすると有名幼稚園に入りやすいですか?」と聞かれたことがあるのですが、それは違うでしょうと。遊びは受験のためにするものではないですから。ただ、結果として役に立った、ということはあるんじゃないかなと思います。
「スポーツは向上しないといけない」の思い込み
為末:海外では、子どもが自然と外遊びできるような仕組みがありますよね。ヨーロッパには、地域クラブのようなものがあって、そこには外遊びに誘ってくれるボランティアの方がいます。
そこでは「ドリブルの練習をしよう」ではなくて、ただ子どもたちにボールを渡して、それを蹴って遊ぶだけなんです。
窪田:まさに遊びの要素ですね。
為末:そこで言われたのが、「スポーツをしたいだけだったら、なぜトレーニングする必要があるのか」ということでした。キャンプをするときに、キャンプのトレーニングはしないですよね。
それなのに、なぜかスポーツだけは「向上しなければならない」という強い思い込みがある。その思い込みがなければ、ただプレーをして遊んで帰ればいいだけなんです。
窪田:目的なく、ただ楽しめばいい。その考えが広まれば、もっと子どもたちがスポーツを楽しめそうです。スポーツをする「play」と、遊びの「play」は同じ単語ですからね。
為末:窪田先生はアメリカで子育てをされましたが、外遊びの環境はどうでしたか?
窪田:アメリカは公園やレクリエーションセンターがたくさんあるので、外遊びが当たり前にできる環境でした。ボランティアも充実していて、放課後には親が交代で校庭に立ち、子どもたちが危ない目に遭わないように見守っていました。