もはや理解不能「京大話法」夫婦の呆れた日常会話 どこまでも「そもそも」を突き詰めてしまう
これも繰り返しになってしまうが、私自身、こうした会話を苦痛だとはまったく思っていない。むしろ当たり前だととらえている。
20年以上続く「京大話法」による日常会話
仮に先の会話の場面が、スーパーに移ったときを考えよう。
「京大話法」にすると、次のようになる。
先にあげた妻と私の日常会話でも違和感はない。というよりも、こういうやりとりを20年以上続けてきたから、私にしてみればリアリティがあるのだが、みなさんにとっては、作り話に見えるかもしれない。
ただお伝えしたいのは、「そもそも」論、とは、「そもそも」何なのか、私自身がわかっていない、そのボケぶりにほかならない。
このため、私を含めて「そもそも」論だとは思っていないし、「議論」ともとらえていない。日常会話そのものなのである。
京大生を特徴づけるとすれば、ふだんの会話に違和感を覚えない、無頓着さ、というか、鈍感さといえよう。メンタルが強い/弱い、以前に、あまり考えていない。誰に何を思われているのか気にしない。「概念」や「定義」について、堂々めぐりで議論を続ける。
大学1年生のとき生まれて初めてのアルバイトをしたのだが、「上司は仕事ができない」と友人に話した。軽い世間話(愚痴)のつもりで、何も深い意味はなかった。
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