もはや理解不能「京大話法」夫婦の呆れた日常会話 どこまでも「そもそも」を突き詰めてしまう

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これも繰り返しになってしまうが、私自身、こうした会話を苦痛だとはまったく思っていない。むしろ当たり前だととらえている。

20年以上続く「京大話法」による日常会話

仮に先の会話の場面が、スーパーに移ったときを考えよう。

(スーパーにいる夫から電話)
夫 油揚げ買おうと思ったんだけど、今日は小松菜が安いんだよね。
妻 油揚げはやめて小松菜でいい?
夫 構わないよ。じゃぁ小松菜買って帰るわ。

「京大話法」にすると、次のようになる。

夫 油揚げを買おうと思ったんだけど、油揚げって、なんだかお味噌汁の具としては邪道な気がしてきた。
妻 邪道って何?
夫 あまり食べ応えがないし、手抜きにも見えるし、出汁との相性も難しいし。
妻 食べ応えがあるかどうかは、人それぞれじゃない?
夫 食べ応えの定義にもよるよね。
妻 手抜きをしているのは、誰? 買い物しているあなた?
夫 どちらも?
妻 ほかの具にするってこと?
夫 いや、やっぱりお味噌汁じゃなくて、鶏がらスープにして、参鶏湯(サムゲタン)風にしたらどうかな?
妻 参鶏湯にするなら、結局、メインを変えないと合わない。
夫 メインは、なんだっけ?

先にあげた妻と私の日常会話でも違和感はない。というよりも、こういうやりとりを20年以上続けてきたから、私にしてみればリアリティがあるのだが、みなさんにとっては、作り話に見えるかもしれない。

ただお伝えしたいのは、「そもそも」論、とは、「そもそも」何なのか、私自身がわかっていない、そのボケぶりにほかならない。

このため、私を含めて「そもそも」論だとは思っていないし、「議論」ともとらえていない。日常会話そのものなのである。

京大生を特徴づけるとすれば、ふだんの会話に違和感を覚えない、無頓着さ、というか、鈍感さといえよう。メンタルが強い/弱い、以前に、あまり考えていない。誰に何を思われているのか気にしない。「概念」や「定義」について、堂々めぐりで議論を続ける。

大学1年生のとき生まれて初めてのアルバイトをしたのだが、「上司は仕事ができない」と友人に話した。軽い世間話(愚痴)のつもりで、何も深い意味はなかった。

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