「秋田のクマ駆除」に"ブチ切れる人"なぜ増えた? 「クマを殺すな」と殺到する抗議に自治体も困惑

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「自然との共生」に関しても、共生しているからこそクマが出没して被害が出ているのでしょう。本当に自然と共生している地域はわざわざそれを掲げないでしょうし、「もともとあまりクマがいなくて被害が少ない」地域の人ほど、「自然との共生を目指そう」などと掲げるのかもしれません。

もしクマが人里に出没したら、「これからも自然と共生していくためにはクマの駆除が必要」と考えるのが自然に見えます。

他人への想像力と理解に“個人差”

体長1.1メートル・体重69キロのメスで、それほど大きくないツキノワグマだったこと。襲われた男性が軽傷だったこと。本当に商品を食べたのか明らかではないこと。ツキノワグマは植物が主食であること。住宅地のため銃を使わなかったことで「生きて森に返すのだろう」と思わせたこと。

クマの駆除反対派の中にはこれらの主張も見られましたが、いずれも論争の本質ではないでしょう。クマの駆除に関する論争が過剰になってしまう最大の理由は、他者への想像力と理解に個人差があること。これが論争をヒートアップさせる要因になっています。

「『自分の生活エリアにクマが現れるかもしれない』という状況で安心して暮らせるのか」

「もし自宅にクマが入ってきたら、スーパーでクマに遭遇したら、どう対応するのか本気で考えたことはあるか」

「自分が大丈夫だとしても、家族、友人、仕事仲間などがクマの出没を不安視していないか」

「クマ出没の不安があることでスーパーなどの客足が遠のき、もし出没したら店が閉鎖されて営業ができないなど困ると思わないのか」

これらを自分事として真剣に考えたとき、「命の重さ」という主張はさておき、クマの駆除に抗議できる人は多くないでしょう。意識的かどうかを問わずニュースを見たときの印象や感覚が優先されるほど、他者への想像力や理解が後回しにされていきます。

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