「秋田のクマ駆除」に"ブチ切れる人"なぜ増えた? 「クマを殺すな」と殺到する抗議に自治体も困惑

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まず今回のケースに関しては、クマ駆除の反対派による「命の重さ」「動物愛護」「自然との共生」などの主張は、1つの貴重な意見でこそあれ、妥当とは言いづらい感があります。

クマがスーパーの商品を食べた可能性がゼロではないこと。少なくとも食べ物の存在を知ったことから、山に返しても再びスーパーを訪れるリスクがあり、住民や店員の不安が募ること。

地元では今月数十件の目撃情報があったうえに、捕獲翌日に別のクマの目撃情報もあったなど、ゆったり対応している余裕がないこと。だから秋田県、秋田市、警察が連動して懸命に対応したこと。

また、秋田に限った話ではない部分で、このところ市街地に出没したケースが続くなどクマの生息圏内に住む人々の危機感が増していること。

山に食べるものがないからではなく、あるときでもおいしいものを大量に食べようと人里に降りてくるなどクマの学習能力が上がっていること。自分たちの命だけでなく、住宅や農作物などの財産も守りたいと思っていること。だから自治体には抗議ばかりではなく、感謝の声も多数寄せられていること。

これらの理由から「命の重さ」「動物愛護」「自然との共生」という主張そのものは理解できても、当事者の安全や心境を踏まえると、抗議は行き過ぎのように見えます。

秋田のスーパー
クマが立てこもって2日、駆除されてから5日での営業再開を発表したスーパー「いとく土崎みなと店」(写真:同店HPより)

「自然と共生していない地域の人」ほど声が大きい

そもそも「命の重さ」や「動物愛護」を考えるのであれば、クマの駆除だけをピックアップして当事者に抗議するのはフェアではないでしょう。他にもそれらを訴える案件はあるはずなのに、なぜクマの駆除にそれらの声が大きくなるのか。

クマの出没がたびたびニュースになるから命をめぐる主張がしやすいのかもしれませんが、被害に苦しみ、現場で必死に対応している人々に不要な心的負担を強いている感は否めないのです。

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