「若返った日本人」雇用の質という経済界の課題 高齢社会対策大綱が示した新高齢期像と論点
2019年3月にまとめられた厚生労働省「健康寿命のあり方に関する有識者研究会」報告書では、「健康寿命は必ずしも指標と特定の施策との対応、因果関係が明確ではなく、また経時的な変化も緩やかである(施策に対する感度が悪い)ことから、施策の効果・進捗を評価するためのKPIとしての適切性には欠ける」とある。
また日本医師会に、医療政策の方向性を検討する医療政策会議というものがある。2020年4月の報告書には、「健康寿命をなるべく延伸することは個人にとって望ましく、取り組むべき課題ではあるが、政策論の理念や政策の評価指標として用いることは困難なので、医療政策会議においては、『健康寿命』という言葉は使わないでおく」と書かれている。
高齢社会で生きている人たちはいろいろな面で実に多様である。
樋口恵子東京家政大学名誉教授は、2019年に次のように書かれていた。
2013年の社会保障制度改革国民会議は、「複数の疾病を抱えるなどの特徴を持つ老齢期の患者」が多くなる高齢社会に対応するために病院完結型から地域完結型医療への改革が掲げられていた(「日本の医療は高齢社会向きでないという事実」)。
予防医療を前面に掲げることの危険性
しかしながら、2017〜2018年頃には、医療政策は、予防で医療費の抑制や、国内の生産力を高めるための国策としての健康増進へと傾きを強め、それを私はポピュリズム医療政策と呼んでいた(『「予防医療で医療費を削減できる」は間違いだ』)。
高齢社会の問題は慎重に進めなければ排除や分断を加速する。そして一歩間違えると病気は自己責任という考えが広がり、のみならず優生思想にこの国では簡単につながることにもなる。
健康寿命、健康長寿という言葉の魅力を活かして、フレイル予防・対策をまちづくり・地域づくりの一環としてボトムアップで地域活動が行われている話なのであればむしろ大いに推奨されるべきことである。しかしながら、健康寿命の延伸が財政難や労働力不足と結びつけられて国の政策に掲げられると質が変わって危なさが出てくることになるのである。
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