満員電車耐えられない?日本の偉人の意外な素顔 型破りすぎ、すぐ旅に出たくなる…偉人の一面
また中也には、いきなり人の家を訪ねるというはた迷惑な気質もあった。友人の内海誓一郎も、ちょうど作曲しているところに、中也の突撃訪問を受けたことがある。ストーブの前に座り込んで居座る中也に、仕事を邪魔された内海が怒って「もう帰れ!」というと中也は、憎たらしく笑みを浮かべ、帰り際にこんなセリフを吐いた。
「よくおれが邪魔するせいで書けないという奴があるが、そんなの芸術家じゃねえよ」
就職試験に挑んだ中原中也だったが…
そんな型破りな中也が、朝の満員電車に耐えられるわけもないが、一時期は就職しようと考えた。親族に勧められて、29歳のときにNHKの入社試験を受けた。2歳になる息子がいたこともあったのだろう。中也は履歴書を書いて、文芸部長との面接に挑んだ。
だが、履歴にはただ「詩生活」と書いてあるだけ。面接官が「これでは履歴書にならない」と言うと、中也は不思議そうにこう言った。
「それ以外の履歴が私にとって何か意味があるのですか」
就職する者としてはあまりにもマズイ答えだ。面接官が「そういう考え方は、就職でもしようという人の考え方ではない」ともっともなことを言うと、中也も答えた。
「そんなバカな就職というものは御免です」
満員電車うんぬん以前に、短期間の面接すら耐えられない中也だった。
2位:スキあれば旅に出ちゃう種田山頭火
俳人の種田山頭火は43歳のときに放浪の旅に出かけてから、死ぬまで放浪し続けた。一時期は熊本に移り住み、マジメに働こうとするも断念。けっきょくはお酒ばかりを飲んでしまう。生活のために借金した友人にあてて、こんな手紙を書いた。
「私はとうとうまた旅に出ました。まことに懸命の旅であります。私はやっぱり乞食坊主以外のものにはなりきれません」
そうかと思えば、また熊本に帰って来て、俳句雑誌『三八九』を発行。好きな俳句に没頭すれば、腰も落ち着くかと思いきや、1年もしたらまた旅に出るのだった。
「私はまた草履をはかなければならなくなりました。旅から旅へ旅し続ける外ない私でありました」
そんな山頭火が満員電車なんて乗った日には、すぐに次の駅で降りて、逆方面へと旅に出てしまうことだろう。57歳で松山市に移住。翌年、松山市の「一草庵」で生涯を閉じている。
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