風呂キャンセル界隈?「日本の偉人」まさかの素顔 凄い人物でも部屋が汚い、そんな姿に親近感も

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1位:部屋が汚すぎて93回引っ越した葛飾北斎

江戸の浮世絵師・葛飾北斎は、国内のみならず、世界中のアーティストに影響を与えた。

画家のゴッホは 葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景』を絶賛。また作曲家のドビュッシーは交響詩『海』を作曲するにあたって、やはり『富嶽三十六景』から着想を得たという。

もし、そんな北斎に「絵が上達するコツは何ですか?」と質問したならば、「ひたすら描くことだ」という答えが返ってきたに違いない。

13歳から貸本屋で本の挿絵を観て勉強をスタートさせ、彫刻家のもとで文字彫りなどを学んだのち、19歳で浮世絵へ転換。浮世絵界の巨匠・勝川春章に入門したが、1人の師に学ぶだけでは満足せず、狩野派の画家のもとでも修業を積むことで、和漢洋の技法を広く取り入れている。木版画や狂歌絵本のほか、錦絵、肉筆画と、ありとあらゆる分野に挑戦しながら、世界一の画工となるべくひた走った。

荒れ果てた部屋で親子で絵に没頭

ひたすら「よい絵を描きたい」とだけ願った北斎は、生活のあらゆる雑事に無頓着だったため、とにかく部屋が汚かったという。もう住めないほど汚くなれば、家ごと引っ越しをしたというから豪快である。生涯にわたって、北斎は実に93回も転居している。

北斎は二度ほど結婚したが、家庭生活がうまくいかなかったことは言うまでもない。そんななか、3女の葛飾応為とは相性がよかったようだ。応為もまた浮世絵師として活躍し、夫と離婚後は、北斎と同居。親子で共同制作も行いながら、晩年の北斎を支えた。

ただ、北斎と気が合うだけあって、娘の応為もまた細かいことにこだわらない豪快な性格だった。そして、やはり掃除は苦手だったようだ。

葛飾北斎の門人・露木為一は『北斎仮宅之の図』で2人の生活を描写。荒れ果てた室内のなかで、ひたすら絵に没頭する北斎と応為の姿が描かれている。

ある意味、最強の親子タッグだ。「芸術第一」の揺るぎない生活スタイルを築いていた。

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