風呂キャンセル界隈?「日本の偉人」まさかの素顔 凄い人物でも部屋が汚い、そんな姿に親近感も

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そんな武蔵の前に立ちはだかった強敵が「お風呂」である。「洗足行水を嫌ひて一生沐浴する事なし」(『渡辺幸庵対話』)と伝えられるように、武蔵は一切、入浴しなかったといわれる。

裸足で外を歩いたため、足が汚れがちだったが、いつも拭くだけ。衣服も汚れ放題だったとか。いろんな意味で相手を寄せつけない、剣豪・武蔵だった。

2位:大隈重信は字が汚いので一切書かなかった

内閣総理大臣を二度も務め、早稲田大学の創設者としても知られる、大隈重信。死後に国民葬が行われると、約30万人が集まるほど、人気のある政治家だった。

51歳のときには、過激派に爆弾を投げつけられて、右足を切断する大怪我を負っている。これ以降、義足で過ごすことになったが、大隈はこう言ったという。

「私は犯人をけっしてうらんではいない。きっと彼も国の将来を憂いての行動だったのだろう。その勇気たるや感心するほかない。なにより、爆弾ごときでひるむような私ではない」

犯人の来島は犯行後、自ら命を絶っているが、大隈は、来島の葬儀に香典を持たせて側近を参列させたうえ、のちには追悼演説まで行っているという。自分の命を奪おうとした相手に対して、その寛容さには驚くばかりである。

適材適所で周囲に頼る大隈重信

そんな不屈の魂を持つ大隈にも、あるコンプレックスがあった。それは「字を書くこと」。学生時代のクラスに字がうまい友人がいたため、大隈は「自分は字が汚い」と落ち込み、それ以降、文字を書くことをやめてしまったという。

一国の総理にもかかわらず、そんなことが可能なのかと思うが、大隈はいつも口頭で指示をして、誰かに文字を書かせていたという。字を書くのが苦手なだけで、文章力は高かったらしい。不思議と大隈に言われたとおりに筆記すれば、立派な文章になったとか。

実際のところ、大隈が残した数少ない文字は、17歳ごろに寄せ書きした自作の漢詩と、明治天皇にあてた本籍移転を承諾する文書くらいだった。

「苦手なことを一切しない」というスタンスにはやや呆れてしまうが、案外にこの「強靭な意思」と「適材適所で周囲に頼る力」が、大隈を名宰相にしたのかもしれない。

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