数十年経った今もなお「母を葬る」ことができない 秋吉久美子さんと下重暁子さんが語る「母と娘」
秋吉 母は、私にとって一番の親友であり、理解者でした。抜群のチームワークで、お互いに自立した関係。といっても、私はわがままで、まるで一国の王様みたいな感じでした。母の信頼を逆手にとり自由を謳歌していたのです。それが、母の入院で初めて立場が逆転しました。
余命6カ月のがんだったのですが、本人には伝えていないんですよ。今だったらあり得ないことかもしれませんが、怖がりの母は告知を望んでいなかったと思います。
それまで入院どころか風邪で寝込んだこともない、丈夫な人でした。マウンテンバイクに乗ってスーパーに買い物に出かけたり、生きる気満々、自信満々、元気いっぱい。だから本人も病気になったことが相当ショックで、嘘を突き通してほしかったんじゃないか。いえ、病気であることさえも嘘であってほしいと願っていたんじゃないでしょうか。
担当のドクターが話そうとしても、告知の隙を与えずサラリと話題を変えようとする。とはいえ、やっぱり不安だから、私と二人きりになったときにだけ「死」について尋ねてきたり、不安をなくしてほしいとすがってきたり。きっと、私に「大丈夫よ、死ぬような病気じゃないから」ってキッパリ否定してもらいたかったんだと思います。
最後の数週間は入院して、私と妹が交代で病室に泊まり込んで看病していました。死の恐怖と闘い続けていた母はまるで少女のようで、私のほうが母親みたいでした。
それなのに、救いを与えてあげられなかった。不安を膨らませてしまった。あれから20年近くが経ちますが、いまだに後悔があります。往生させてあげたかったのです。
下重さんのお母様は、ご自身の願った日に亡くなった。意思を貫かれた。間違いなく往生できたと思うんです。
一方、うちの母は正反対。彼女の期待に応えるような看取りができなかったという意味で、私は娘としても親友としても不甲斐なかった。芸能人にならずに、哲学者になっておけばよかった……と本気で思いましたよ。
普段から「生と死」を見つめ続けていたなら
下重 お母様は、秋吉さんに学問の道を志してほしかったそうですね。
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