ソ連人民代議員のヴィクトル・アルクスニス氏は、筆者の母が14歳で沖縄戦に遭遇したことに興味を持って身を乗り出してきた。
ロシアやイスラエルで政治家や外交官、インテリジェンス・オフィサーと個人的信頼関係を強化するのに、自分の家族に関する話はとても有益だった。なぜ政治家、外交官、インテリジェンス・オフィサーになったのかには、家族の歴史が深く関係している場合が多いからだ。
母の沖縄戦体験を語る
筆者は、母の沖縄戦体験についてアルクスニス氏に詳しく説明した。筆者の母(佐藤安枝、旧姓上江洲(うえず))は、1930年10月8日、沖縄の北大東島で生まれた。母の両親は久米島の出身だ。一時期、母の父は北大東島のサトウキビ畑で出稼ぎ労働をしていた。心配になった妻が、北大東島に夫を訪ねていったときに生まれたのが筆者の母だ。家族は母の生後、数週間で北大東島から久米島に戻った。
母は幼児期に急性灰白髄炎(ポリオ、いわゆる小児マヒ)にかかった。当時の久米島には、医師も看護師も一人もいなかった。両親は祈祷と民間療法で、母の健康回復に全力を尽くした。当時、久米島では多くの子どもたちがポリオで命を失った。母は命を取り留めたが、右手にマヒが残った。
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