アルクスニス氏の話を聞いて、筆者は自分の父について話してみたくなった。
──ヴィクトル、実は僕の父も第2次世界大戦中は航空隊に従軍していた。
「それは興味深い。僕と同様だ。空軍のパイロットか」
──日本軍に空軍はなかった。陸軍の航空隊で通信兵だった。召集兵で、戦時中の最終階級は上等兵だった。
「僕もパイロットではなく整備兵だった」
──パイロットを志望しなかったのか。
「志望したが、視力が足りなくて落とされた。ただし、戦闘機のそばにいたかったので、整備兵になった。いちばん長く整備していたのがミグ25だ。ベレンコ(中尉)がミグ25に乗って日本に亡命した」
生きるか死ぬかは運である
──あの事件は日本でも大きく報道された。1976年9月で、僕は高校2年生だった。
「ミグ25は整備しやすい、よい戦闘機だった。マサルの父親はどうして航空隊に配備されたのか。希望したのか」
──希望はしなかった。ただし、工業学校で電気工学を専攻したので通信兵として無線機の整備に当たっていた。中国で従軍したので、大きな戦闘に巻き込まれたことはなかったという。ただし、列車で移動中に米軍の戦闘機P51から機銃掃射を受けたことがある。隣にいる兵士に弾が当たった。弾の入り口は1センチメートルくらいだったが、出口は30センチメートル近くになり、内臓が飛び出してひどく苦しんで死んだそうだ。「生きるか死ぬかは、運だよ」と父は言っていた。
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