母に「恥ずかしくて…」と言わせてしまった僕の罪 燃え殻「疲れた夜に寄り添う」日々の記憶と家族

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ライブ会場
母にとって人生初のライブ体験。僕の横で、母は一瞬も逃すまいと見つめていた(画像:World Image/PIXTA)
日常をやり過ごすために必要なのは、映画館の暗闇の中のような絶対的な安心感。ひとりの時間、寄り道と空想、たしかな名前の付いていないあれやこれや。作家・燃え殻が描く、疲れた夜にそっと寄り添う30篇とちょっとのエッセイ集『明けないで夜』より、母のこと。

お好み、どうよ?

「普通にしなさい」

それが母の口癖だった。

「なんで普通のことができないんだ」

二浪までして大学に入れなかった僕に、父がため息交じりにそう言ったのを憶えている。

横浜郊外の「中の中」という感じの新興住宅地で、僕は学生時代を過ごした。僕の育った場所は「理由などなくとも大学には行くものだ」という地域だった。友達の母親同士は仲が良く、たまにみんなで集まって食事会などもしていたと思う。母親同士が話し合って、僕も友達も全員同じ塾に通った。同じ塾でも勉強ができる子と、できない子ではクラスが分かれる。母は、そのクラス分けに関して、かなりセンシティブになっていた。

一度、クラス分けが載ったプリントを、人差し指で確認しながら読んでいる母を見たことがある。そのとき母は、「あぁ……」と肺にあった空気を全部出すかのごとく、ため息を吐き、僕を一瞥してから夕飯の支度をし始めた。そして母は無言になり、わかりやすく天を見つめる。僕の名前は、できない子のクラスにあった。子どもながらに気を遣って、「本屋のおじさん、入院したって」などと話を振ってみるが、トントントンと包丁の音しか返ってこない。

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