母に「恥ずかしくて…」と言わせてしまった僕の罪 燃え殻「疲れた夜に寄り添う」日々の記憶と家族

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台所に立つ母の近くまで行ってみると、母は野菜を千切りにしながら、涙をはらはらと流していた。そして包丁を使う手を止め、唇を震わせながら、「恥ずかしくて明日からスーパーに買い物に行かれないわ」と言った。僕は犯罪でも犯したかのようにショックを受け、涙を流すこともできずに呆(ぼう)然ぜんとしてしまった。この先自分が生きていても、両親をがっかりさせてしまうことばかりをやってしまいそうで、心底怖くなった。

その日は八月の終わりで、家の近くでたまたま祭りが執り行われていた。テープレコーダーのお囃子の音が、遠くから微かに聞こえる。ときどきマイクを使って、大声で誰かを呼んでいる声も聞こえた。僕は家にいるのがいやで、財布も持たずにそのまま玄関を出て、神社のほうに走った。

夏の夕暮れ、浴衣を着た女性が何人も行き交う。神社の境内までは、まだだいぶあったが、屋台が道沿いに先の先まで並んでいたのを憶えている。綿菓子の甘い匂いがした。金魚すくいの金魚は色とりどりで、座っている子どもたちが、なにが可笑しいのか、大袈裟に笑い転げている。焼きそばが鉄板で焼ける音。威勢のいい掛け声。りんご飴(あめ)を舐めながら歩く若者たち。僕は行くあてもなくずんずん歩いて、境内近くの、お好み焼きの屋台の前を通り過ぎる。

茶髪と黒髪が交じったお姉さんが、一通りお好み焼きを作り終え、椅子に座って煙草をふかしていた。「ふー、いる?」と煙草の箱を出して、僕をからかう。僕は思わず足が止まってしまう。「お好み、どうよ?」と笑顔で言う彼女。「すみません、いまお金なくて……」と返すと、「そう」とそっけない。そして、また彼女は煙草をふかす。僕はそのあと神社まで行って、とぼとぼ帰宅した。戻ってきた僕に、母は「夕飯できてるわよ」とだけ言った。

祭りの終わり

次の日、小遣いを持って、もう一度祭りに向かうと、昨日で終わりだったようで、はっぴを着た大人たちが、提灯などを外している真っ最中だった。道もキレイに掃除がされていて、あれだけあった屋台は跡形もなく消えていた。

茶髪と黒髪が交じった彼女のお好み焼きの屋台も、もちろん跡形もない。きっと僕の知らないどこかの町の祭りで、今日も一通りお好み焼きを作り終えたら、また煙草をふかしているに違いない。彼女からあのとき一本煙草をもらって、そのままどこか知らない土地まで、一緒について行きたかった。

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