母に「恥ずかしくて…」と言わせてしまった僕の罪 燃え殻「疲れた夜に寄り添う」日々の記憶と家族

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祭りが終わって、いつもの町がいつも通りに戻っていく様子を見ながら、そんなことを考えていた。

母にとっての人生初のライブ体験

母の病気が見つかったのは、いまから六年前のことだ。緊急で行った大手術のあと、医師が母から摘出したモノを、僕たち家族に見せてくれた。それを見たとき、大袈裟でなく卒倒しそうになった。身体からこんなに多くを取ってしまって、人間は生きられるのだろうかと思ったほど、その量は多かった。酸素マスクをした母のもとに通されたのは、そのあとすぐのことだ。その日は冬で、病院の窓のサッシが、北風でカタカタと音を立てていた。母はベッドに横たわり、スーハースーハーと小さく息をしている。「お母さん」と妹が語りかけるが、目をつむった母からの返事はない。布団をかけられた母の身体が、僕の記憶よりも薄く感じた。

父は無言のまま、涙を拭いている。管に繫(つな)がれた母の右手を、僕はそっとさすってみる。母の手が冷たい。機械音がずっと鳴っていて、見たことのない数字が、画面の中で増えたり減ったりしていた。僕は母の冷たい手を手繰るように握ってみた。すると母はゆっくり片方ずつ目を開ける。

「お母さん」僕は母に語りかける。

酸素マスクをした母は、ほんのすこし口元を開いたあと、僕の手を信じられないくらい強く握った。「しっかりしなさい」と言われた気がした。

術後、容態は安定し、春になると一時退院することまでできた。母は、医師も驚くほどの回復を見せたが、身体にはまだ癌は残ったままだった。しかし高齢でもあり、その進行は遅い。放射線治療や外科手術を何度かしながら、自宅療養が現在もつづいている。

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