数十年経った今もなお「母を葬る」ことができない 秋吉久美子さんと下重暁子さんが語る「母と娘」

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下重 父親は、やっぱり客観的な存在よね。血のつながりはあるにせよ、自分と深く結びついている感覚は少ない気がする。母ですよ、やっぱり。誰もが母から生まれてきたんだから。

戦争で特攻隊員として命を落とした青年たちだって、最後はみんな「お母さん」って叫んだと言いますよね。

鬼籍の人になったあとも、母は私の内に入り込んで、すっかり同化してしまった感覚がある。私の血となり肉となり……つまり「私」になっちゃった。だから夢に一度も出てこないんだと思うの。その存在はとてつもなく大きいし、なんだか恐ろしい因縁まで感じます。

喪失体験が自分をガラリと変えた

秋吉 私は引き受けた感じですね。亡くなって初めて、父母を背負った。生きている間は負わなくて済んだんですよ。両親それぞれがちゃんとしてくれていたから。

たとえば、かつての母の期待を背負うことで目線が一緒になり、今は母の想いとともに生きるようになりましたから。母が生きている頃は、期待に応えることなんて考えもしなかったし、心の赴くまま、まるで人生の暴君のように振る舞ってきたけれど 、亡くなって初めて「覚悟」が生まれたのかな。

言い方を換えれば、それほどの痛手でした。痛みが強すぎた。それは母を失った痛みというより、母の期待に応えられなかった痛みです。男性が最愛の人を亡くしてアルコールに溺れたりしますが、私の喪失体験も自分をガラリと変えました。それまで、自分の生き方に疑問なんて抱くこともなかったのに。

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下重 母親って、目の前に立っている屏風のようなものだと思うの。私は完全に自立しているつもりだったけれど、やっぱり母が前に立って守っていてくれたから安心して生きてこられたんだと思います。それが取り払われて、ある種のすがすがしさも感じるわね。

そんなふうに思えるようになったのは最近のことです。母が生きているときは、思いもよらなかった。母は私の中に入り込んだって言いましたけど。私が死んだら、私の血も肉もなくなるわけでしょ? そのときこそ私と一緒に母も死ぬ。そう感じています。

秋吉 私は満足のいく形で母の看取りができなかった。これからの自分がどのように生きるか、どれだけ成長するかということが、母を葬(おく)ることなのかなって思いますね。

【後編】秋吉さん下重さん語る「歳を取る」と「今を生きる」

吉田 理栄子 ライター/エディター

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よしだ りえこ / Rieko Yoshida

1975年生まれ。徳島県出身。早稲田大学第一文学部卒業後、旅行系出版社などを経て、情報誌編集長就任。産後半年で復職するも、ワークライフバランスに悩み、1年半の試行錯誤の末、2015年秋からフリーランスに転身。一般社団法人美人化計画理事。女性の健康、生き方、働き方などを中心に執筆中。

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