数十年経った今もなお「母を葬る」ことができない 秋吉久美子さんと下重暁子さんが語る「母と娘」
秋吉 面と向かって言われたわけではありませんけどね。たとえば哲学者として、普段から「生と死」を見つめ続けていたなら、彼女の不安を少しは軽くしてあげることができたかもしれない。
それもあって、母の死後、大学院に進学しましたし、カトリックの洗礼を受けキリスト教についても学び続けています。今の私なら「私たちは死後、どこへ向かうのか」、自分なりに解釈して、ボキャブラリー豊かにわかりやすく話してあげられたでしょう。
でも、当時の私には知識も知恵もなかった。今の私は、母の死を起点として「穴」を一つずつ埋めていっている状態なのかな。
一番知らないのは「一番身近な人」
下重 それでも秋吉さんは看取りをした。その時間があった。その間はお母様と向き合って、思いを伝えようと必死だったわけでしょう。そういう意味で、「がんは必ずしも悪いことずくめの病気ではない」と考える人もいるみたいですね。
私の場合、母親との関係はずっと「反抗」。父や母に反抗するために生きてきた感じです。子どもは親を乗り越えるもの、それこそが個人の成長だと思ってる。
最近、毒親という言葉をよく聞きますが、「なぜ毒親に反抗しないんだろう」って思ってしまうの。もちろん、それぞれの人がそれぞれ複雑な事情を抱えていることは理解していますよ。
思春期の子どもって「自分は生まれたくなかったのに、どうして産んだのよ」ってよく親に言うでしょう? 私も母に言いましたが、それが悪いことだとは思わない。
どんな子どももいつかは大人になるわけですから、自立しなきゃならない。そのためには親を乗り越えなきゃいけないんです。乗り越えるとは、反抗することですよ。親子であっても違う人間なんだから、親の言うことを黙って聞いていたら乗り越えることなんてできません。
『家族という病』(幻冬舎新書)を書いたときに感じたのは、私たちが一番知らないのは、一番身近な人だということ。まずは自分自身。その次に知らないのは、自分の家族。父親や母親、きょうだいがいったいどんなことを考え、何を望み、何を目的として生きてきたか。聞いたことがないと思いますよ、ほとんどの人は。
一番近くにいて何でも知っている、わかっていると思い込んでいるから、あえて掘り下げない。恋人や友人なら相手のことをもっと深く知りたくて、いろいろ聞くのにね。つまり、一生知ることのないまま別れの日を迎えるのが、肉親でしょう。でも、万一親を知ることができるとすれば、案外「介護」は一つのきっかけになるんじゃないかと思うんです。
秋吉 父のほうが先に亡くなっていますが、そのときは全然違った。父に対しては死の1週間前まで反抗期が続いていたんですけど、いよいよ死期が迫り私が看取ることになると、なんのわだかまりもなく通じ合うことができたんです。長い長い反抗期が、このときに終わりを告げました。
「人は亡くなる48時間前でもこんなに麗しく成長できるんだ」って、心が震えました。父は、今際(いまわ)の際(きわ)に素晴らしいプレゼントを残して旅立ったのです。それが、先ほどもお話ししたように、母のときは正反対。自分の未熟さ、至らなさを嫌というほど自覚させられたの。
一人の人間として自立し人生を深めていくための経験を、父と母、それぞれの死からそれぞれ別の形で与えられたのかなと思います。
両親の死が、子どもを成長させるんですね。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら