これまでの人生を振り返って、本当に危なかったと思うことは2回ある。
1回目はあの戦争が始まったとき。1941年12月8日の夜明けごろ、ラジオで「海行かば」とともに米英戦開戦の報を聞いた。すぐに日本中が焼け野原になって家族が焼け出される映像が脳裏に浮かんだ。
もう1回は、鉄道特別幹部候補生の1期生に応募するつもりが、陸軍の仕事で願書の申し込みが3日過ぎてしまい試験を受けられなかったとき。結局、2期生に志願して合格した。あのときの1期生は満州に送られ、ほとんどが亡くなった。そもそも鉄道特別幹部候補生にならなかったら、沖縄で玉砕した部隊に配属されるはずだった。
それ以外にも、東京大空襲に遭ったし、米軍の機銃掃射にもさらされた。戦争があと数カ月続いていたら、本土防衛で間違いなく死んでいただろう。そうした戦時の体験に比べると、ビジネスでのピンチなんて知れている。事業で生きるか死ぬかなんてなかったよ。事業ではね。
人間は生まれたときは不公平だが、死ぬときは公平
戦争の経験から、政治家や官が権力を持って「おまえたち文句を言うな」と言うのが嫌いなんだ。あの戦争は国民が欲したのではなく、軍の将軍や参謀、官僚、財閥が欲したのですよ。ああいうことを二度とやっちゃいけないし、二度とやらせてはいけないと思っている。
昨年12月、国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)を設立した。これまでは日本経済団体連合会(経団連)が経済界の声を政治に反映させてきた。経団連は重厚長大の製造業が中心。GDPの7割超を占める第3次産業、サービス産業の発言力は弱かった。このため、サービス産業に携わる流通などの業界が中心となり、生産、製造の業界、さらには消費者団体とも一体となった新しい連合会を設立した。
日本は関東大震災も、敗戦の焼け野原からも復興を果たした。阪神・淡路大震災も乗り越えた。東日本大震災にも日本は負けない。僕は、生団連を通じて、国民生活と生命を守るために発言、提案をしていきたい。
僕の根底には、人間は生まれたときは必ずしも公平ではないが、死ぬときは公平だという思いがある。米国や日本に生まれるのと、アフリカや中国に生まれるのとでは全然違うし、同じ日本に生まれたとしても、場所や家庭によって大きな差がある。だけど、人間死ぬときは公平で、紙切れ一枚あの世には持っていけない。だからこそ、生きているうちにやるべきことをやるのです。
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