ダイエーの中内功さんはスケールの大きな立派な経営者でした。ただ、アグレッシブな経営者という世間のイメージと違って、彼は自分から仕掛けて取りにいったことはない。ダイエーが九州のユニードを併合したときも、ユニードの渕上栄一さんと亀之助さんの兄弟に「苦戦しているから引き受けてくれ」と頼まれたので引き受けたのです。
ダイエー創業期から興隆期にはいい番頭さんがいました。中内さんの神戸高等商業学校の同期の二人がダイエー入りし、副社長にまでなった。中内さんはフィリピン戦線で自分が寝ている間に食われるんじゃないかという厳しい状況で生き抜いたからか、なかなか人を信用しない人でした。ですが、二人の言うことは信頼して聞いた。二人もあうんの呼吸で中内さんの不得手なところを埋めていた。
企業が半世紀生き残るのは大変
ところが、この二人が若くして死んでしまった。その後、いろんな人が中内さんの周りにいたけど、中内さんが持っている独特の個性にみな恐れおののいて、なかなか物を言えなかった。二人のような人がいなくなったことがダイエーにとって非常に残念なことです。
僕には社内に物を言ってくれる人がいた。社外の交友関係でも、旭化成の宮崎輝さん(元社長)、小松製作所(現コマツ)の河合良成さん(元社長)といった大先輩が「いちばん大事なのは己を知り、足るを知り、とどまるを知ることだ」「必ず物事には終わりがある」「おカネも権力も自然に集まるのはいいが、追いかけるのは危険だよ」などと言ってくれた。
そもそも僕は自分を偉いと錯覚したことはない。剣道でも勉強でも自分よりできる人間がいたし、流通業界には伊藤雅俊さん(セブン&アイ・ホールディングス名誉会長)、岡田卓也さん(イオン名誉会長相談役)、中内さんらがいるんだから。
ダイエーは潰れました。でもそれは中内さんの経営の誤りではなく、国家政策の失敗のとばっちりを受けたから。いきなり、金融機関の融資に対する規制を強化して、新しいカネを出すな、出しているカネは回収しろ、というのが政府の命令だった。この影響をまともに受けた。
イオンとセブン&アイはうまく乗り切って、日本の流通業界の二強になった。一方、セゾングループは中核の西武百貨店がセブン&アイに買収され、西友はウォルマート傘下になった。カルフール(仏)は撤退し、テスコ(英)も撤退を決めた。企業が半世紀生き残るのは大変だよ。世の中の変化や、経営トップの交代もある。なかなか難しい。
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