会社を残すなら一番優秀な人に任せる ライフコーポレーション会長兼CEO・清水信次氏③

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しみず・のぶつぐ 1926年生まれ。45年清水商店設立、56年清水実業(現ライフコーポレーション)設立、社長就任。82年会長、88年会長兼社長、2006年会長兼CEO就任。日韓協力委員会理事長、日本チェーンストア協会会長、国民生活産業・消費者団体連合会会長など。

会社を子供や孫に継がせたいとは思いませんね。会社を残したいなら、いちばん優秀な人に任せるべきだから。

ライフが大阪証券取引所2部に上場した1982年、弟・三夫に社長を譲って僕は会長になった。普通なら自分が社長として上場するのだろうが、長い間苦労を共にしてきた弟に花を持たせようと考えた。

弟は僕より頭もいい。一生懸命やっていたし、経営に対する勘も悪くない。会長になってしばらくは、弟からいろんな相談や報告があったが、1年したらぱたっとなくなった。僕も忙しかったし、東京と大阪で離れているのでしょうがないと思っていた。

でも、弟は財テクに走り、本業への投資をおろそかにしていた。当時、バブルが始まる頃で、株や土地、ゴルフ会員権などが値上がりし、カネがカネを生んだ。現場でコツコツとやることを、弟だけではなくみんながバカにしていた。大根やニンジン、サバやイワシを売って10円や20円の利益を稼ぐのは、頭の悪い人間のやることと考えてしまったのだろう。危機感を抱いて、社長に復帰した。

会社の経営はもう潮時

2006年3月、39歳だった岩崎高治さんに社長を譲った。

最初に岩崎さんと出会ったのは視察に訪れた英国・リバプール。そこで僕を迎えに来てくれたのが三菱商事の現地子会社に出向していた岩崎さん。会って20分後には「いずれこの人と仕事をしたいな」と考えていた。当時はさすがに社長にするとまでは思っていなかったけど。

そんな短時間で人物がわかるのか? それはわかる。こっちは吉田茂、鳩山一郎、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登……みんな知っている。

帰国して三菱商事の会長、社長、副社長に、岩崎さんを呼び戻して一緒に仕事をしたい、とお願いした。しかし、「まだ行ったばっかりなので最低2年は離れられない。ほかの優秀な人を出しましょうか」と。それに対して「2年待ちます」と答えた。2年後に岩崎さんはウチに来てくれた。2年の出向期間を3回延長して、「彼はウチにも必要なので返してほしい」と言われた。一度は「わかりました」と伝えたけど、最終的に社長になってもらった。

僕は心臓に問題を抱えているし、コンピュータもわからない。現場のスピードと変化についていけなくなった。まだまだ天下国家に対しては物を言っていくつもりだが、会社の経営はもう潮時だろう。

週刊東洋経済編集部
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