「教員はサービス業?」学校の先生達が抱える苦悩 学校の先生は何で勝負する?忘れられない疑問
このような状況で、教員が搾取の実態や労働者としての権利を主張すれば、確かに世間の同情は集まり、労働条件は改善するだろう。
しかし、だからといって教育者としての教員のニーズが満たされるわけではなく、「お客様を教育しなければならない」というジレンマの解決にはならない。
もっと言えば、教員が労働者としての権利を主張すればするほど、教員と生徒・保護者間の「労働者」―「お客様」という関係性の縛りは逆に強くなるだろう。
保護者から、「先生だいぶ楽になったんでしょ?」「給料もたくさんもらえるようになったんでしょ?」と言われるようになれば、これまで以上に教員が「先生」になれない社会になる可能性の方が高いだろう。
教員は何で勝負するのか
「じゃあ学校の先生たちはいったい何で勝負するんですか?」
22年前、野球部の外部指導者の方に言われたその言葉を、私は今でも鮮明に覚えている。
当時の私は教員1年目。バリバリの高校球児であった外部指導者の方が率いる野球部の顧問を任された。私自身も野球経験者で野球が大好きだったものの、その方の技術と知識は段違いに優れていた。
私が着任したときには、既に1年分の野球部の大会予定が決まっており、合間の土日には当然のように練習試合が組まれていった。
生徒といることに喜びを感じていたし、最初はそれでもよかった。しかし、プライベートの時間もなく、人に決められた予定に合わせて生活するのが、だんだんとしんどくなっていった。
部活に限らず、教員としての業務があまりにも多岐にわたっていたため、教材研究の時間も、1日1時間取るのがやっとだった。
そんな弱音を彼に漏らしたときに戻ってきたのが、その言葉だった。「じゃあ学校の先生たちはいったい何で勝負するんですか?」。
私は、何も言い返せない自分が嫌だった。野球の専門家であるシニアリーグの野球指導者や、授業を教えることに特化する塾講師の存在が脳裏をよぎり、学校教員の自分は全てが中途半端な気がした。
結局、私は勝負できる環境を自分でつくる他なかった。人としての生徒の成長に深く携わりたいと願った私は、1週間3回の英語の授業ではとうてい足りない、生徒との信頼関係構築の場を部活などの課外活動にも求めた。
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