「教員はサービス業?」学校の先生達が抱える苦悩 学校の先生は何で勝負する?忘れられない疑問
生徒の下校時間までは極力生徒と過ごし、一人でできる事務作業は後回しにした。3年目には校長から野球部を一人で任され、あの外部指導者の方からいただいた言葉を思い出しつつ、指導者として成長できるよう精進した。
自分の師匠も見つけ、一から学び直す覚悟を決めた。たくさん叱られ、反省し、それでも師匠の技を盗もうとすればするほど、自分が目の前の子どもたちの「先生」に近づいていくのを感じた。
自分が「生徒」になったことで、初めて「先生」への道が開けた気がした。いつしか、私のそんな姿を見て保護者も団結し、私が頼むことには全面的に協力してくれるようになっていた。
同時に、英語の教材研究にも力を入れた。授業がつまらなければ生徒は耳を貸さなくなるし、生徒との信頼関係は築けない。生徒たちが私の英語の授業を楽しみにしているかどうか、それが自分にとって一つのバロメーターとなった。英語を通して、生徒たちの小さな世界が広がっていくことに魅力を感じた。
また、学年の生徒指導担当となって、やんちゃな生徒たちとも泥臭くかかわり、その後もずっと続く得がたい人間関係を手に入れた。学級経営にも力を注いだ。
教員の専門性は「子ども」にある
授業なのか部活なのかと、悩む時期もあったが、そうではなく、教員の専門性は子どもなのだと感じた。数学だけを専門的に教えたいなら、塾の講師になればいい。サッカーだけ教えたいなら、クラブチームの指導者になった方がいい。
学校の教員は、学校生活を通して子どもたちのさまざまな表情を見ることができる。ずっとそばにいる教員だからこそ見えてくる、一人ひとりの良さや課題がある。それぞれが持つ良さを見抜き、伸ばすことで、子どもの生きる力を育むのだ。
そうやって本気でかかわった子たちとは、一生の付き合いになる。教え子が進学し、生業を見つけ、家族を持ち、一人の人間として立派に成長し、次の世代にバトンをつないでいく姿を見守れることこそが教師の幸せなのではないだろうか。
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