「私の中の平野レミさん」が私を救ってくれている ジェーン・スー×桜林直子「生きづらさの正体」

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考えすぎない、突き詰めすぎない。

深刻になりそうになったときはレミさんに出てきてもらうのがクセ付き、すっかり「自分のやり方」になっていきました。

本来の自分にはない要素だけど、自分のいつものやり方ではあまりいい結果にならないとわかっていて、あちらのやり方のほうがいいはずというのなら真似しない手はありません。

余談ですが、雑談の仕事のお客さんが日常の中でわたしと話したことを思い出すとき、「ちっちゃいサクちゃんが自分の中にいるんです」と言ってくれたことがありま した。「『ほら、この前話したのと同じだよ』って、サクちゃんが気づかせてくれる」って。それは、わたしもお役に立てているようでうれしかったです。

わたしの中にはレミさん以外にもキャラクターがいます。そのひとつは怒りを感じたときに出てきます。

もともと人に対して怒るのが苦手で、イヤなことがあっても「仕方ないか」と相手に伝えず溜め込んでしまうほうでした。

でも、仕事だとそれでは立ち行かない場面があります。そんなとき、わたしは自分の中にいる気高い姫を登場させます。「無礼者、離れなさい。それはわたしにやってはダメですよ」というお知らせとして怒る。感情をぶつけるのではなく、あくまでお知らせという感じです。

自分が大事にされない場面で、ナメられているなと感じたときに、「仕方ない」と流してしまうと、怒りが「悲しい」に変換されて、怒ることができません。なので、自分を姫のように位の高いものとして扱うことで、「無礼ですよ」「失礼ですよ」と相手に伝えます。

どんな相手でもナメられていいことはひとつもありません。きちんと怒って伝えたほうがいい。怒らないと相手は「この人はナメてもいい人なんだな」と勘違いしてしまうので、「違いますよ」と教えてあげるという感覚です。

普段の自分にはできないことも、人の力をお借りすればできることがある。誰かのいいやり方を真似してみる。いい方向にやり方を上書きするイメージです。やがていいほうのやり方が自分の習慣に変わっていきます。そこは「練習あるのみ」だと思っています。

行動はうそをつけない

<スーさんの話>

何か怪しいぞ? と思ったとき、私は他者の「言葉」ではなく「行動」を見て判断するようにしています。言葉では何とでも言えるけど、行動はうそをつけないから。

自分だってそうだもの。だから、行動がすべてだと思っているフシがあります。

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