CR-Vは燃料電池車の「死の谷」を超えていけるか? クルマの出来は上々だが燃料電池普及の道は…

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次いで、ドイツ・ニュルブルクリンク周辺のワインディング路を模したコースに移ると、走りの良さや取り回しの良さがさらに際立った。

路面が少し荒れていて、かつ路肩が傾いているコーナーでも、タイヤと路面との接地感があり、かなりのハイペースで駆け抜けることができるのだ。

走行モードを「SPORT」に変えてみると、欧州メーカーのEVなどでも採用されているアクセル操作に連動したスポーティな疑似音が、車内にうっすらと聴こえてきた。

「CR-V e:FCEV」のパワーフロー表示(筆者撮影)
「CR-V e:FCEV」のパワーフロー表示(筆者撮影)

同時に、モーター出力のピックアップが鋭くなる。しかし、そのレスポンスは過度ではなく、クルマの動きとドライバーの心が融合するような“ほどよいスポーツ感”だ。

総じてCR-V e:FCEVには上級感、上質感、スポーティ性、安心感、疲れの少なさなど、ポジティブな印象を受けた。

しかし、課題は別のところにある。ホンダとして「このクルマを起点にFCEVをどう育てていくのか?」という点だ。

燃料電池車がたどってきた道

そうしたホンダの未来を考えるうえで、ホンダとFCEVとの関わりについて振り返っておきたい。FCEVの実用化に向けた動きは、1990年代後半から2000年代前半にかけて一気に進んだ。

中でも、カリフォルニア州が主体となって立ち上げたCaFCP(カリフォルニア・フューエル・セル・パートナーシップ)には、トヨタ、ホンダ、日産、ダイムラー(現メルセデス・ベンツ)、GM、フォード、ヒョンデなどが参画。

プロトタイプで公道実証をともに行いながら、課題解決に向けた糸口を見つけようとしていた様子を思い出す。

2001年に日本の公道で実証を始めたホンダ「FCX-V3」(写真:本田技研工業)
2001年に日本の公道で実証を始めたホンダ「FCX-V3」(写真:本田技研工業)

その現場で、筆者はホンダ「FCX」を含めて各社のプロトタイプを数多く試乗したが、当時のFCEVのNVは今と比べるとかなり大きく、走り味は「もっさり」していた。

2000年代後半になると、カリフォルニア州の環境規制であるZEV(ゼロエミッション)法を主体とした対応として、ホンダは燃料電池を自社開発。専用設計の車体を持つクラリティ FUEL CELLの生産を、国内のパイロットラインで始めた。

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