もっともここでいう「情報」とは、「日々の自分の行動の指針となるもの」、あるいは「自分が最適な判断を下すための材料」と定義しています。
そのため、「共感している状態」は自身の思考力も洞察力も停止している状態とネガティブに捉えています。つまり、共感が多い環境は自己成長できない環境ということです。
「共感」という言葉は、少し視点を変えれば「私が考えていたことに合致することを、あなたは言った」と、自分の考えの正しさを確認するための言葉ともいえます。
思考力を鍛えるために必要なこと
それでは、なぜ「共感」ばかりしていると思考力が低下し、成長が阻害されてしまうのでしょうか。
それは、人が一番成長するのは「何これ?」「よくわからない……」という、自分が理解できないモノに出合ったときだから。得体の知れないものや、理解が及ばないことに対して「なぜ?」と考えを巡らせることで、思考力が鍛えられ、成長していきます。
一方、「共感」は、自分の中にあるものとの共鳴にすぎません。「共感」している間は、人は「これまでの考えの域」を出ないのです。それゆえに、共感できるものばかりを求めていると洞察力は鍛えられず、自身の成長も鈍化してしまいます。
ここからいえることは2つあります。
まず1つ目。思考力を鍛えたいなら、「日頃、自分は“共感できるもの”とばかり接していないか?」、あるいは「『共感』を情報収集する際の判断基準にしていないか?」と、自問自答してみることです。
耳障りのいいことばかり言ってくれる上司や部下、あるいはコンサルに依存していませんか? 自分の意見と似たようなことばかりを受け入れてはいませんか? それにより「わかったつもり」になっていませんか?
「共感できるもの≒心地のよいもの」と接してばかりいると、自分自身の脳に汗をかいて考えることをしなくなります。自分の中で「共感インフレ」が起こっていないかと、普段から「自分チェック」をすることが必要です。
何かにつけて「共感した」と言いたがる人は、何を聞いても共感しようとするクセがついています。本当は「得体が知れないもの」「理解が及ばないこと」なのに、それを適当に自分の共感領域に合致させ「わかったつもり」になっていませんか?
これの何が危険かというと、「物事を歪曲して捉えるクセ」から抜け出せなくなることです。いつでもフラットに誰かの意見を聞けていますか? 無意識のうちに自分の都合の良いような解釈をしてしまっていませんか?
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