松山英樹も契約、住ゴム「スリクソン」急成長の訳 「期待されていない」存在から世界のブランドへ

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そこで新たに立ち上げたのが、SRIXONという新ブランドだ。ゴルフをこよなく愛する人たちとともに、ゴルフの未来を切り拓いていく理念を掲げ、ブランドコンセプトにしている。

「SRI」は住友ゴム工業(Sumitomo Rubber Industries)の頭文字であり、Xは限りない、将来への夢(Dream for the future)、「ON」は前進(Going on and on)を意味する。商標は1993年に出願された。

だが、やはりDUNLOPというブランドの存在は大きい。当時、SRIXONというブランドは、伊井康高氏(元取締役)がチームリーダーとなって検討を進めていた。ところが、社内から異論が出る。

「ゴルフ事業の主力は日本国内で、海外向けに立ち上げたSRIXONは社員への印象は決してプラスではなかった。DUNLOPがあるからSRIXONは必要ない、もしくは海外向け専用ブランドという認識だった」(飯島氏)

ある意味、期待されていないブランドとしてのスタートだった。

期待されていないブランドの躍進

SRIXONの商品は1996年に東南アジアでゴルフボールを販売したのを皮切りに、1997年にはアメリカ、1998年にはイギリスなどヨーロッパで販売を開始する。1997年にはアメリカでスリクソン・スポーツUSAを設立し、徐々にグローバルでの販売体制を構築していった。

1999年には日本でもボールを発売し、少しずつ国内でもブランドの認知が広がっていった。だが、ここでもSRIXONはわきに追いやられる。

2000年、住友ゴム工業は100億円以上を売り上げていたゴルフブランド「Callaway(キャロウェイ)」との契約が終了。社運をかけてこれに代わる新しいブランド、XXIOの立ち上げに注力していたからだ。

それでも、2001年に女子プロゴルファーのレジェンド的な存在であり、岡本綾子プロの盟友のローラ・デービスや、タイガーウッズとの名勝負で知られる男子プロゴルファー、トーマス・ビヨンと契約。 2002年には同ブランドのウッドクラブW-201と、アイアンI-201を発売した。

長い間、国内では日の目を見なかったSRIXONブランドの潮目が変わったのは、2002年ごろだ。

認知を広めるため、国内の契約プロのキャップをSRIXONに統一。筆者の印象に残っているのは、2003年のダンロップ・ミヤギテレビ杯でアマチュア優勝した宮里藍がかぶっていたサンバイザー。ロゴがSRIXONだった。

アメリカでも2006年に契約したジム・フューリック(2003年の全米オープンゴルフで優勝) の活躍などで、ブランドの強化につながっていった。

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