「365日全国泊まり歩く」彼が浪人で得た価値観 浪人時代の祖母との生活が受験勉強を支えた

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文系に変更する前の模試では、理系の偏差値は生物を除いて40台、文系科目はいずれも50を少し超える程度。千葉大を志望していたものの、E判定しかとったことがありませんでした。

そこで志望校を法政大学に切り替えることに。しかし「理系の夢をあきらめたものの、具体的に文系でこんな仕事に就きたい、といったビジョンはありませんでした」。

予備校には通っていなかったものの、コツコツ受験勉強を続けた石田さんは、最後の模試で初めて法政大学でC判定を取るまで学力を向上させました。

この結果を受けて、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)の4学部に出願。しかし、結果は振るわず全落ちに終わりました。

「行くならMARCH以上じゃないといけないという変なプライドがあったのです。思えば、高校が推薦での入学だったので、人生初めての筆記試験で油断がありました。どうせどこかは受かるだろうと思っていたんです。楽観的な性格が招いた事態でした」

祖母の家で浪人を開始

こうして石田さんは浪人を決断します。浪人を決断した理由を聞くと、「さすがに大学は出ておきたかった」との答えが返ってきました。

「当時、大学は行って当たり前のものだと考えていたので、当然経験しなきゃいけない通過儀礼だと思っていました。親には申し訳ないのですが、1年勉強させてくれと頭を下げて、浪人をさせてもらいましたね」

そんな石田さんに落ちた理由について尋ねたところ、「勉強をしていないこと」がすべてだったと振り返ります。

「受験が近づいてきたとき、僕はサッカーゲームの『ウイニングイレブン』にはまっていて、勉強よりもゲームをやっていた時間のほうが長かったのです。受験の前日も『ウイイレ』をやっていて、それでも受かると思っていました。今までと同じ環境にいるとまたゲームをしてしまうと思い、千葉の田舎のほうに住んでいる祖母の家に、参考書だけ持って住ませてもらいました」

「娯楽もないし、勉強に集中できると思った」と語る石田さんにとって、この生活はとてもよかったそうで、「1日のリズムが固定された」と振り返ります。

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