日本で「アニミズム」が保存された3つの根本理由 「自然信仰」を踏まえた「地球倫理」の時代へ
ある意味で“神様を削って経済的利益を得ている”わけだが、セメント工場がもたらす雇用などの地元の利益にとどまらず、そこで作られたセメントそしてコンクリートで東京など大都市圏のビルや各地のさまざまな建造物が作られていると思えば、決してこれは他人事とは言えないことになる。
つまりここで指摘したいのは、日本人あるいは日本社会は、本稿で述べてきたような「アニミズム的な自然信仰」を含め、自然観や自然に対する意識といったレベルでは優れた面を多くもっているが、政策や経済社会システム、あるいは公共的な対応といったレベルになると、非常に多くの問題を抱えているという点なのだ。
実際、国際的に見ても、「ミナマタ」などのもっとも悲惨な産業公害や、「フクシマ」での深刻な原発事故が、いずれも日本において起こっているというのはこうした点と関係しているだろう。また、森林面積率が7割という豊かな森をもちながら、木材の自給率は4割程度で、海外の森林資源に依存している(その結果海外の森林や生態系の劣化を招いている)といった点も同様である。
「アニミズム文化とともに日本人は自然との共生において意義深い意識や自然観をもっている」といったことだけで話を完結させてはいけないのであり、それを公共政策や社会システムの次元での対応にうまく接続し展開していくことが重要なのである。
日本的アニミズムの課題②
最後にもう1点指摘しておきたいのは、「アニミズム的な自然観の再評価」と言っても、それは単に過去に帰るということではなく、環境問題などの議論でよく言われる「なつかしい未来(ancient futures)」という言葉に示されるような、新たな文脈での位置づけが重要という点だ。
また、こうした点を意識しなければ、先ほどの「後発国家のアイデンティティ」の議論とつながるが、日本的アニミズム論は一歩間違えると狭隘で排他的なナショナリズムに陥るおそれもあるだろう。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら