日本で「アニミズム」が保存された3つの根本理由 「自然信仰」を踏まえた「地球倫理」の時代へ

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次に2)の「神仏習合」だが、おそらくこれが日本においてアニミズム的自然観が保存されるにあたって決定的な意味をもった要因だったと思われる。それは次のような意味においてだ。

神道という、日本における土着かつ原初的な「自然信仰」がアニミズム的自然観ときわめて親和的であることは言うまでもない。誤解のないよう確認すると、神社における“鳥居”とか“社殿”といったものは、後の時代において(仏教寺院への対抗という文脈や、古代国家における中央集権化といった背景の中で)付加されていったものである。

一方、ここで述べている神道とは、その原初の形態としての、まさに先述の(自然の中の)「八百万の神様」という表現に象徴されるような、あるいは「御神体」が山や岩、木等々といった自然そのものであるような信仰ないし世界観を指しており、アニミズムそのものと言えるものである。

人間以外の草木や自然もまた成仏するという思想

ところで、ドイツの哲学者ヤスパースが「枢軸時代」と呼んだ紀元前5世紀前後の時代に、地球上の各地において、都市文明の成熟の中で高度に言語化され体系化された「普遍宗教」(ないし普遍思想)が成立していった。インドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、(キリスト教やイスラム教の源流となった)中東での旧約思想等である。こうした普遍宗教は、その高度な体系性とも相まって地球上の各地に広がり、浸透していくとともに、各地域にもともとあった土着の信仰を(その“原始的”で“不合理”な性格ゆえに)否定し排除していった。

ところが日本の場合、当初は外来の普遍宗教である仏教と土着の自然信仰ないし神道との間に激しい争いが生じたが、最終的に「神仏習合」という形で両者の融合ないし習合(syncretization)がなされていった。

また、必ずしも神仏習合という形をとらずとも、日本の天台宗において9世紀後半に活躍した安然という仏教学者が提起した「草木国土悉皆成仏」という思想(人間以外の草木や自然もまた成仏するという考え)などに象徴されるように、日本においては仏教そのものが土着の自然信仰とそのアニミズム的要素に(意識的であれ無意識的であれ)影響を受ける形で変容していったのである(安然の思想とその背景については末木文美士『草木成仏の思想』サンガ、2015年を参照されたい)。

以上の内容について、2点ほど補足を行っておこう。1つはいま指摘した日本における仏教の変容という点である。上述の普遍宗教が地球上のさまざまな地域に広がっていく中で、その地域の風土や土着の信仰と相互作用を行いながら、その場所固有の文化に適合的な形で変容していくということは広く見られることであり、日本に限ったものではない。

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