日本で「アニミズム」が保存された3つの根本理由 「自然信仰」を踏まえた「地球倫理」の時代へ

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ここで浮かび上がってくるのが、私自身がこれまで「地球倫理」と呼んできた発想ないし見方である(拙著『コミュニティを問いなおす』『ポスト資本主義』等参照)。

「有限性」と「多様性」

地球倫理とは、その結論のみを簡潔に述べれば「地球環境の『有限性』を認識し、地球上の各地域の風土や文化の『多様性』を理解しつつ、個人を超えてコミュニティ、自然、生命とつながる」という内容なのだが、それは図のような構造をもつものである。

「地球倫理」の構造
(出所:筆者作成)

駆け足での説明となるが、この図は人類史の流れと関連しており、一番下の「自然信仰(アニミズム)」は、20万年前にホモ・サピエンスがアフリカで誕生して以降の狩猟採集段階の後半期に生じたものだ。真ん中の「普遍宗教(A、B、C・・・)」は、本稿で述べた、ヤスパースのいう枢軸時代(紀元前5世紀前後)、すなわち農耕文明の後半期に生成したものであり、現在の世界はこうした普遍宗教同士が互いに対立している状況にある。

これに対して地球倫理は、人類の歴史としては第三のサイクルにあたる近代あるいは工業化社会の後半に位置するものである。それは普遍宗教の多様性をいわば一歩メタレベルから俯瞰し、「地球上の各地の環境の多様性が多様な宗教や文化を生んだ」という把握――人間の認識や世界観が風土によって規定されているという、エコロジカルな認識観――をもつと同時に、普遍宗教がネガティブにとらえてきた自然信仰ないしアニミズムを、さまざまな信仰のもっとも根底にあるものとして積極的にとらえるのである。

本稿で論じてきたアニミズムの現代的意義は、まさにこうした地球倫理的な枠組みないし文脈においてとらえられる必要がある。そしてもし日本が今後世界に発信していきうる思想や自然観、世界観があるとすれば、それはほかでもなく、以上のような自然信仰=アニミズムを土台とする地球倫理の思想と言えるだろう。

なぜならここで述べてきたように、日本はアニミズム的な自然観がもっとも明瞭な形で保存されてきた場所の一つだからである。

広井 良典 京都大学 人と社会の未来研究院教授

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ひろい よしのり / Yoshinori Hiroi

1961年岡山市生まれ。東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務後、96年より千葉大学法経学部助教授、2003年より同教授。この間マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。2016年より京都大学教授。専攻は公共政策及び科学哲学。限りない拡大・成長の後に展望される「定常型社会=持続可能な福祉社会」を一貫して提唱するとともに、社会保障や環境、都市・地域に関する政策研究から、時間、ケア、死生観等をめぐる哲学的考察まで幅広い活動を行っている。著書に『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書、大佛次郎論壇賞)、『日本の社会保障』(エコノミスト賞受賞、岩波新書)、『人口減少社会のデザイン』(東洋経済新報社)など。

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