1968年に広告代理店からソニーが新しく作るレコード会社、シービーエス(CBS)・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に転職した。クライアントにぺこぺこ頭を下げるのが嫌で、逆の立場がいいという子どもっぽい理由で。レコード会社だからレコードを出している程度の知識しかなく、仕事内容も詳しく知りませんでした。
小澤(敏雄・元CBS・ソニー社長)さんにEPIC・ソニーを作れと命じられたのは入社10年目、37歳のときです。断トツに仕事ができたわけでもないし、何かをやりたいと思っていたわけではない。なのに、40~50人のスタッフを連れて好きなようにやれ、と。同期に渡辺プロ出身の稲垣博司さん(現エイベックス・マーケティング会長)がいて、彼が長男格、私は二男格。芸能界は向いていないと思っていたし、長男とは違うことをやろう、と考えた。
「マイナーこそメジャーの第一歩」
それで、他人が商売にならないと思っていたロックをビジネスの中心にしました。80年代初頭、日本でロックというジャンルはまだニッチだったんです。付け加えると、私のやってきたことはいつもニッチ狙い。「マイナーこそメジャーの第一歩」「いつかはメジャーで1等賞を取るぞ!」と思ってやってきました。
ロックをやり出した当時、成功する確信なんてありません。だって、誰もやったことないわけだから。ただ、これが失敗したら一巻の終わりだな、とは思っていました。幸いEPICからは、THE MODS、佐野元春といったアーティストが生まれ、レーベルとしての性格づけができた。小室哲哉や渡辺美里などは第2世代ですね。
EPICを大きくして、いずれはCBS・ソニーを吸収してやろうと思っていました。CBSに戻る気もない。それがCBS・ソニーが上場することになり、EPICは吸収合併されてしまいました。
ヒットメーカーなんて言われるけど、私は大した仕事をしていません。私のそばに仕事のできる人間が寄ってくる。これに尽きます。なぜかというと、私がボンヤリしているからです。そんなに計算高くないし、相手の欠点をチェックして厳しくやることもない。おいしいことを言って、裏で足を引っ張るようなこともしないので、警戒しないでいい。気を許せるし気分もいい。
私が働かなくても、周囲が働いて成果を持ってきてくれる。そうして「丸さん、何をやったんですか」となったのです。
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