EPIC・ソニーがたまたま成功したので、「丸山にやらせると新しいことがうまくいくぞ」となって、ソニーグループのソフト関係プロジェクトが全部降りかかってくるようになった。ゲーム機のプレイステーションもその一つです。
もともとは、任天堂のスーパーファミコンにCDドライブを付けるので、ゲーム以外をソニーに任せるという話でした。私は、ゲーム機にマイクを付けてカラオケをやろうと思った。「カラオケソフトや歌詞カードが売れるぞ。これは儲かるぜ」とね。私がやる気になった理由です。
それが、任天堂に提携話を断られて大賀(典雄・ソニー元社長)さんが怒った。久夛良木(健・ソニー・コンピュータエンタテインメント〈SCE〉元社長)が大賀さんと意気投合して、「プレステを作ろう」となった。こっちは「えー、何でそんな面倒くさいことを」だよ。
プレステの成功は、久夛良木の手柄
大賀さんは忙しいし、やることがたくさんある。社内には反対も多かったので、ゲーム事業への意欲が揺らぐ。久夛良木はプレステをやりたい。そこで私が巻き込まれた。当時、大賀さんと久夛良木の間には、社内のヒエラルキーが何層もあった。ミュージックにいた私は、大賀さんに直接のルートがある。久夛良木はそれをうまく使ったわけ。まあ、使われてやった面もあるけど。
プレステの成功は、久夛良木の手柄。私だって自分の手柄だって言いたいけど、どう考えても一番じゃない。でも、私も仏様じゃないから、あいつが「俺が一人でやった」と言うと、「バッカ野郎。おまえ一人じゃないだろう」と言うことはあるよ。
SCEがいちばん盛り上がっていたときに、取締役会で大賀さんや出井(伸之・ソニー元社長)さんに大ボラ吹いて、「ソニーは品川みたいな田舎にいるからダメ。俺たちが稼いで青山のビルをどんどん押さえるから、こっちに来たほうがいいですよ」と言っていました。「いずれソニーを吸収しよう」という気概を持っていました。それなのに、ソニーがSCEを完全子会社化してしまった。EPICに続いて、私はまた創業者になり損ねました。
私は任天堂をリスペクトしています。SCEがいちばん勝っているときでも、「われわれが1年で任天堂を引っ繰り返すことができたということは、誰かが同じことができる」とつねに言っていました。そうしたら、やっぱり引っ繰り返された。でも、ビジネスがデジタルになるということはそういうことです。それを言っていたのは久夛良木ですが。
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