あえて遠い時代と見る感性が大事--『昭和天皇と戦争の世紀』を書いた加藤陽子氏(東京大学大学院教授、歴史学者)に聞く
太平洋戦争の開戦から70年。史料的な裏付けが整うとともに、昭和天皇論が盛んになってきた。「生涯に三度焦土に立つことになる」近代立憲制下の天皇は、激動の「昭和戦争期」にいかなる役割を担ったのか。
──実証史家としてのまなざしはあくまで温かい。
昭和天皇は、晩年に入江相政侍従長を相手に1946年作成の「聖談拝聴録」の加筆修正を試みている。それは断続的に10年続く。東京裁判の対象となった、28年以降の17年について、何度も書き直している。
歴史の動力となった政治的人間が、一生の中で重要だと考えていた戦争指導。不本意ながらそれとともに生きなければいけないように運命づけられた人間が、いちばん評価されたかった問題は何か、気に掛けていた問題は何か。言葉を換えれば、昭和天皇において、歴史に登場するに当たって不得意な戦争指導を課せられた政治的人間の非情で不合理な世界を書きたかった。
──断罪しているところもあり、弁護しているところもあります。
当時、天皇自身には見えなかった米国や英国、中国の動き、それは実はこうだったと記した。ある種のレクイエム。こういうことは今ではわかっていて、でもあなたには見えなかったと。いわばこの本は私と昭和天皇との対話の書だ。
──事象の検証は厳密で、「三度焦土に立つ」運命から書き起こしています。
昭和天皇は皇太子時代に欧州の第1次世界大戦の戦場を訪れ、摂政として関東大震災の被害をつぶさに見ている。総力戦の悲劇を知りながら開戦に歩み出し、そして東京大空襲による焦土に立つ。