今こそ「世阿弥」現代人が共感する600年前の言葉 未来への不安に「答え」を見出すヒントがある
作品にも神道はもちろんのこと仏教や禅だけにとどまらず儒教の四書五経の要素まで濃厚に含まれています。
題材も日本書紀、源氏物語、平家物語、伊勢物語、万葉集、百人一首、など、ただ引用するだけでなく独自の解釈や謎解きをするようなスピンオフ作品が数多く作られました。
また、能は旅人の見ている夢や脳内映像を展開するような発想で作られています。ちょうど『銀河鉄道999』でメーテルが鉄郎の夢を読み取るドリームセンサーを観客全員が持っているような感覚です。その夢のモニターが能舞台です。
能楽の物語は9割が目に見えない世界を描いています。
神、鬼、妖精など自然に対する畏怖。武将の幽霊などすでに人生を終えた魂が生前の後悔を語る作品も多く、ひすいこたろう氏の名著『あした死ぬかもよ?』に描かれる武士道の世界観にも通じています。
能楽は被害者が加害者の演技をするような場面が多く、作品の中では身分の低い人を描いた曲のほうが尊重される傾向があります。戦争を描く曲に関しても勝者ではなくほとんどが敗者を描いたものです。
権力者が弱者である曲や、いかつい武士が装束や能面により女性を演じるなど、立場の違うものになりきるという行為が教養として行われていました。
莫大な予算で、面、装束を作り「見る」ものから「する」ものに変化していった日本的美意識も海外から注目されています。
これらの発想の源となる父観阿弥からの伝承、世阿弥自身の体験から書き残したこと、次男元能が世阿弥からの教えを書き残したものが数多く伝承されています。
世阿弥が示す未来への指針
コロナ禍が終わりAI時代が本格化してきました。レジや接客、作曲などマニュアルに沿ってできる仕事はどんどん機械化が進んでいます。最近では ChatGPT が誕生し、「人間がする仕事は何か?」という話題が普通に会話に登場するようになってきました。
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