記憶に残る大喪の礼 帝国ホテル元社長・犬丸一郎氏③

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いぬまる・いちろう 1926年生まれ。慶応大学卒業、49年帝国ホテル入社。50年米国に留学。大学で学んだほか高級ホテルにも勤務。帰国してからは副総支配人、常務、専務、副社長を経て86年社長就任。97年から顧問を務め99年退社。近著に『軽井沢伝説』がある。

僕の社長時代は、海外に展開しないかとか、ホテルをもっと建てないかといった誘惑が本当に多かったんです。でも実際に開業したのは帝国ホテル大阪ぐらいで、そのたぐいの誘惑は断っていました。経理担当役員と「とにかく借金を返そう」と話していたこともあり、けっこうたくさんあった借金を8年ぐらいで返したんですよ。

海外では、バリ島のホテルでマネジメントを手掛けました。おカネを出して経営するのではなく、マネジメントだけなら損はしませんし、従業員の勉強にもなる。そのような形にしたのは、海外では組合もあるので、こちらから派遣する人数とかで制約を受けながら運営するのは難しいとの判断があったからです。

ホテルには、さまざまなお客様がいらっしゃいます。私たちが旦那と呼んでいたオペラ歌手の藤原義江さんのように、帝国ホテルを住まいにされる方もいらっしゃいます。ビジネスパーソンだけでなく、政治家、大統領、芸術家もいらっしゃる。

帝国ホテルは世の中の流れに合わせていった

いろいろな方にお目にかかれる機会を与えてもらったことはよかったと思いますし、楽しかったですね。歴史的な経緯から、各国の王室の方々が泊まられることも多いのも、帝国ホテルの特徴です。お目にかかった中でも特に、ベルギーやノルウェーの国王はすてきな方でした。

記憶に残ることはと聞かれれば、やはり1989(平成元)年に執り行われた昭和天皇の大喪の礼です。帝国ホテルには30カ国以上の国賓の方々が泊まられました。あの日はとても寒かった。葬儀に向かうために車列を作るのですが、代表が出ていく順番など細かいコードがあるんです。VIPの出入り口から駐車場まで車が並んで、30秒置きぐらいに車が出ていきました。何もかもが大仕事で、緊張しました。

振り返ってみると、社長だった頃は景気がよかった時期もあったので、部屋が満室になる日も割と多かったんです。世界的に活躍する日本企業が増え、そういった企業の方々が、海外からディーラーなどのお客さんを招待したりして、帝国ホテルを活用してくださいました。

日本のホテルは昭和10年代から終戦まで、鎖国に近い状態にあったといえます。日本の国そのものがインターナショナルじゃなかったわけですから。それが、戦後の経済復興、経済発展とともにインターナショナルになっていく。帝国ホテルは丸の内や日比谷、霞が関に近い立地を生かしながら、世の中の流れに合わせていったのです。

週刊東洋経済編集部
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