海外から帰国してから、いろいろなことを提案していきました。まず食事ですが、昔の日本のホテルは、朝昼晩の食事を提供する時間が決まっていたんです。時間帯を外すと、お客様は食事を取れない。それはおかしいだろうということで、ガーデンバー(当時)で軽食を取れるようにしたんです。夕食の時間帯も拡大しました。
立食ビュッフェや催し物も提案しました。「バイキング」もそうです。この原型は北欧の「スモーガスボード」。ようするに、ダーッと料理が並べてあって、自分で勝手に取ることができる。いくら食べても値段は変わらない。米国滞在中に見たことがあって、ああなるほど、これはいいと思っていたんです。導入しようという頃、『バイキング』という映画が上映されていたので、そこから名前をつけました。
数々の工夫をしてきた
1960年には、オリンピック組織委員会から頼まれて、当時の村上信夫・新館料理長とローマオリンピックに行きました。次が東京オリンピックでしたから、選手村レストランの運営などを視察したのです。
建物も工夫しました。ニューヨークで僕が働いたウォドルフ・アストリアには、VIP専用のエントランスがあったんですね。VIPはすぐエレベーターに乗ることができますし、警備するのも楽でしょう。そこで、同じようなものを70年の新本館開業時に導入しました。またホテル内は段差を作らないようにしました。最近のホテルの中には、バーに行くのに段差があったりするところもありますが、薄暗いところに段差を作ってはいけないんです。
宿泊客専用のミュージックルームも作りました。防音設備のある部屋にグランドピアノを置いています。というのも、帝国ホテルには数多くの音楽家が泊まられています。海外から招待された音楽家が、ちょっとピアノを練習しよう、声を出そうとしても、そういった部屋がなかったら不自由ですからね。
これも工夫といえますが、エレベーターは鏡がないものが多いので、鏡をつけて一輪挿しを置いています。鏡があれば、お客様もちょっと確認して身なりを直すことができるでしょう。そう、帝国ホテルの靴磨きの一人は、僕がヘッドハンティングしたんですよ。ホテル近くにあった三信ビルの外で商売していて、僕も時々磨いてもらっていた。「ところで、雨が降ったらどうするんだ」と聞くと「仕事はできません」って。「じゃあ、俺のところでやってみないか」となったわけです。
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