実は、この議論の構造は、金融政策の対象である経済と物価の関係に似ている。よく知られているように、FED(アメリカ中央銀行)には、物価の安定と雇用の最大化という2つの使命(デュアルマンデート)がある。
日銀にとっての金融政策は「物価一辺倒」
一方の日本は「物価の安定を通じて経済の健全な発展に資する」という建て付けになっている。となると、日銀にとって、金融政策は、景気の微調整ではなく、あくまで物価、一義的には物価一辺倒になる。
そうなると、金融政策における経済の位置づけは難しくなる。なぜなら、21世紀に入ってから、コロナショックで物価が急上昇するまでは、インフレ率が低い水準で安定していたから、景気刺激を金融緩和で行うことができた。つまり、金融政策は景気刺激を目的とし、インフレ率は、単なる制約条件となり、インフレ率が大幅に上がらなければ、金融緩和をいつまでも存分にやっていい、というような状況となった。
これは、日本に限らず、アメリカも同じような雰囲気だった。アメリカでは、コロナで景気が悪くなることを懸念したから、日本をはるかに上回る大規模財政出動と合わせて、大幅な金融緩和を行い、それを継続した。
コロナ禍によるサプライチェーンの大混乱に加え、ロシアのウクライナ侵攻でエネルギー価格が急騰し、その結果、インフレ率が上昇しても、あまり警戒せず「需要の過熱による物価上昇ではないから、これは一時的であり、金融引き締めは不要」としたため、利上げが大幅に遅れ、その結果、高い短期金利の継続を余儀なくされた。
一方、日本では、21世紀に入ってからは、バブル処理が終わった後も、財政、金融ともにひたすら景気対策に動員された。財政赤字が拡大していたこともあって、金融政策は、つねに緩和可能な最大限を行うことが求められ、継続された。
その結果、ゼロ金利の限界を超えて量的緩和、異次元緩和、イールドカーブコントロール(長短金利操作)と、次々とイノベイティブな金融政策が日銀によって発明された。
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