義務教育段階で制服を着ないのはアリなのか? 生徒主導の「校則見直し」西武文理の場合ー後編

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「衣服の乱れ」は、「心の乱れ」ではなく「教育の乱れ」だというのだ。どこまでが適当でどこからがやりすぎなのか、線引きは難しい。そのさじ加減を自分で判断する訓練だと思ってどんどん失敗して、いちど自分のなかに基準ができれば、あとはその都度適切に判断できるようになるはずだ。

12歳や15歳の偏差値で人格まで決めつける社会

一般には、偏差値が高い子どもたちには自由を与えても秩序が保たれるが、偏差値が低い学校で同じことをしたら学校が荒れると考えられている節がある。しかし、ペーパーテストで測られる偏差値で人格まで決めつけるのは、とんだ偏差値差別だと私は思う。

1970年前後の高校紛争で、一部の学力上位の高校では、自由を勝ち取ることができた。しかし多くの高校で、生徒たちの蜂起は鎮圧され、むしろ管理教育が強化された。そこで偏差値帯による自由の二極化が起きた。それが結果的に「偏差値の高い学校は自由、低い学校は管理される」という「常識」をつくってしまっただけである。

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この社会では、12歳や15歳時点でのペーパーテストの点数で、「君は自律ができるひと」「君は自律ができないひと」というレッテルを張っている可能性がある。それによって青春時代に得られる自由や自己効力感にまで格差が生じるのであれば、その格差が子どもたちの人生に与える影響はおそらく、学歴格差がもたらす影響よりも甚大だ。

全国の高校や中学校でそれぞれのルールメイキング・プロジェクトが動き出し、「なーんだ。偏差値なんて関係ないし、ルールがそんなにたくさんなくても社会はちゃんと回るんじゃん!」ということがわかれば、偏差値差別がなくなり、日本社会全体の自律意識や自己効力感は底上げされ、投票率も上がるのではないか。

(前編はこちら)「校内スマホ禁止」は絶対か?動き始めた生徒たち 生徒主導の「校則見直し」西武文理の場合ー前編

おおたとしまさ 教育ジャーナリスト

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Toshimasa Ota

「子どもが“パパ〜!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。今、子どもと一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。育児・教育をテーマに執筆・講演活動を行う。著書は『名門校とは何か?』『ルポ 塾歴社会』など80冊以上。著書一覧はこちら

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