義務教育段階で制服を着ないのはアリなのか? 生徒主導の「校則見直し」西武文理の場合ー後編

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ペドロ でもその生徒はいい学びをしたと思います。そのときは驚いただろうけれど、そういう葛藤を経験することも大切です。

山中 私服で学校に来た生徒が、夜遅い時間の帰宅途中でナンパというか勧誘みたいな声をかけられたという話も聞きました。

おおた なぜ私服だと声をかけられるのですか?

山中 制服なら高校生で未成年なんだとわかりますが、私服だと、ただ若い女の子が歩いているように見えるからだと思います。

おおた 私服通学にはそういうリスクもあるんですね。逆にいえば、そういうリスクに気づくことも学びではありますね。

衣服の乱れは心の乱れではなく教育の乱れ

校則を自由化すると学校が荒れるんじゃないかという意見が生徒の口からあがったことが興味深かった。しかしこれまでの私の取材経験をもとに言わせてもらえば、それは杞憂である。

「衣服の乱れは心の乱れなんて、昔は言いましたが、心が乱れているのなら、心に寄り添えばいいんです。服装は生徒たちにとって、自己表現のひとつです。バイタリティを獲得する重要な手段なんです。その自由を奪ってしまうなんてナンセンスです。自由を与えられると最初はいろいろやってみるものですが、次第に落ち着きます」

北海道にある私立高校の教頭先生の弁だ。校則がなくなった途端におかしな格好をし始めるようならば、その状態で卒業させるほうが恐ろしい。また東京のある私立中高一貫校が1970年代に制服の廃止を決定したときに、校長から保護者に宛てた手紙には次のように書かれていた。

「あるいは、ひとによっては思いきって派手な服装をしてくることもあるかもしれません。そして、ある種の流行になるという心配もあります。しかし、そのような浮いた空気があるとするならば、すでにこの学校の教育に大きな欠陥があることを示すにすぎません。そのときは、服装よりも教育のありかたそのものを反省すべきであって、またそれに耐えられなくなって服装にうき身をやつす生徒の弱さは、別に解決すべきだと思います」

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