日本製鉄、中国大手と「合弁解消」が示す関係変化 「生産能力7割減」脱中国鮮明化で米印へ集中

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2003年7月に新日本製鐵は宝山鋼鉄と自動車用鋼板を製造・販売する合弁会社設立で基本合意を締結した。左から三村明夫社長と千速晃会長(いずれも当時)。同年の12月にはアルセロールも交えて合弁契約を締結した(写真:時事)

日本製鉄が”脱中国”に向けて動き出した。7月23日、日鉄は中国・宝山鋼鉄(以下、宝鋼)との合弁会社である宝鋼日鉄自動車鋼板(以下、BNA)の合弁契約を解消すると発表した。

2004年に宝鋼と新日本製鐵(現日本製鉄)、ヨーロッパのアルセロール(現アルセロール・ミタル)の出資により設立されたBNA。2011年にはアルセロール・ミタルの持分を日鉄が買い取り、宝鋼と折半出資で運営してきた。

合弁契約がこの8月下旬に20年間の満期を迎えるが、日本製鉄は契約を更新しないことを決めた。日鉄は保有するBNA株を17.58億元(約370億円)で宝鋼に譲渡し、合弁から撤退する。

宝鋼と同じグループに属する武漢鋼鉄との合弁・武鋼日鉄(武漢)ブリキが残るものの、日鉄の中国での鋼材生産能力の7割を手放すことになる。

関係は師弟からライバルへ

日鉄と宝鋼の関係は、1977年に新日鉄の稲山嘉寛会長を代表とする日中長期貿易協議委員会が訪中した際、中国政府から上海での大型一貫製鉄所建設への協力を要請されたことにさかのぼる。山崎豊子氏の小説『大地の子』のモデルともなったこのプロジェクトを全面的に支援したのが日鉄だった。その後、両社は長らく”師弟”関係にあった。

BNAもそうした両社の関係から生まれた。2001年のWTO(世界貿易機関)加盟を契機に中国経済は急成長を開始。中国政府は自動車生産の拡大に踏み出すが、当時の中国には自動車用の高級鋼板を生産できる鉄鋼メーカーがなかった。日鉄の技術で自動車用鋼板の供給を目指したのがBNAだった。

だが、20年の歳月で状況は変わった。

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