日中「鉄の絆」の終わりと2つの三中全会の暗合 日本企業を潤した中国の「経済改革」の終焉

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鄧小平氏による君津製鉄所の視察
鄧小平氏による君津製鉄所の視察が日中鉄鋼協力の原点だ(写真:アフロ)

鉄は国家なり、という。その言葉のとおり、半世紀近く続いた日中製鉄業界の絆は終焉に際しても政治の影を強く感じさせた。日本製鉄は7月23日、中国の宝山鋼鉄(宝鋼)との自動車用鋼板の合弁を8月に解消すると発表した。設立から20年の節目を迎え、すべての持ち株を宝鋼側に譲渡する。日鉄の中国での看板事業が終わりを迎えた。

日産自動車やホンダが現地の生産能力の削減に踏み込むなど、中国では日系自動車メーカーによる事業の縮小が続いている。三菱自動車はすでに中国から撤退した。EV(電気自動車)の普及と現地の完成車メーカーの台頭という状況下で、中国での自動車用鋼板のビジネスに見切りをつけるのは自然な選択に見える。

ただ、目先の需要動向だけで決めたわけではあるまい。同社の経営陣はかねて「中国市場の存在を前提にせずビジネスを考えろ」と社内に指示していたという。

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