日記文学と言っても、今でいう日記と違って、毎日書いていたわけではない。更級日記は、旦那の死を機に、もっと真面目に生きなきゃと思い直して、それまでの浮かれた人生を反面教師として書いているという前提になっている。紙が貴重品だった時代、勝手なことを書くことが許されず、特に女性の場合は、何かしらの教育のためではないと中々書かせてもらえなかったことが背景にあるようだ。更級日記の後半は、作者が物語マニアから卒業し、色々なお寺を訪ねて良い子にしていることがつづられているが、正直つまらない。
そこではっきりとわかることが一つある。それは、サラちゃんが全く反省していないということだ。
物語を読んでいる自分や夢を見る自分は一番イキイキと描き、寺巡りの記述はかなり手抜きな感じ。作者の文書力を考えると、たとえあまり興味がないものでも、もっとカッコよく書けたはずだ。
サラちゃんが使った驚きの技法
だから、その語り口にこそもっと深い意味があるように感じられる。受け身の人生を強いられていた平安時代の女性は自己表現をすることが難しく、男性ありきの社会の中で自分を語る空間を確保できたのは一握りだった。女性のために書くというごく限られたオーディエンスだったが、公開の場を与えられるという貴重な機会を得た菅原孝標女はそのチャンスを無駄にしなかったのだ。
「物語という絵空ごとはご法度だ」という一見まともなお題と見せかけて、前半と後半のパートのスタイルや文章一つひとつに込められた想いや気持ちの表現方法を変えることによって、彼女が一番伝えたかったことを訴えているのではないか。
そしてそれは、欲望の衣を脱ぎ捨てることが大事ということでは決してない。物語は素晴らしいこと、恋を夢見ることは間違っていないこと、平凡な人生だったとしても、自分はヒロインのように輝ける場面が絶対にあるはずで、それを宝のように心の中にしまっておくべきだ、ということ。たとえそれが跡形を残さずに消えてしまう、はかなく空しい恋だったとしても、その虚無こそ美しい。
社会によって定められている女性の理想像がある中、それに逆らえるような知識も手段も存在しない環境に置かれていたにも関わらず、言葉だけで、逆説的にそれを表現するなんて、脱帽という言葉しか思い浮かばない。もっと自由に生きているはずの私たちには果たして同じようなことが出来るだろうか。更級日記を閉じて、千年以上前に菅原孝標女がウィンクをしながら贈ってくれたそのメッセージに感動、刺激、共感、さまざまな感動が胸に渦まく。
また、聡明な彼女の文章からもう一つのとても重要な教訓も得られる。本を読みすぎる女はやはりモテないということ。我こそ、それをいみじく思ふ…。
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