現行の救急キットでは多くの自衛隊員が死ぬ 戦闘を想定した準備はできていない<下>

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米軍の場合、戦闘で手足を負傷した場合、最悪の損傷を想定して負傷した手脚の付け根に「救命器具」として1本目の止血帯を服の上から掛け、出血による生命の危機を回避する。その後、痛みに耐えられなくなる20分の間に安全な場所へ移動して、戦闘服を裁断し創口を観察して、包帯による圧迫止血、止血剤などを試み、これらで出血を制御できない場合は最後の手段として2本目の止血帯をかける。こうして時間を稼ぐ間に、MEDICが来てペインコントロールが行われ、緊縛止血による悪影響が生じる2時間まで時間が稼がれることになる。

負傷者が痛さに耐えかねて止血帯を外してしまうことのないよう、棒付きキャンディー状の軽易な経口式の麻酔薬等によるペインコントロールも、早期に行われる。実際、米軍では痛みに耐えかねて、止血帯を外して出血多量で死亡したケースも多々見られるようだ。阪神淡路大震災以来、知名度が上がったクラッシュ症候群(筋肉が圧迫されると、筋肉細胞が障害・壊死を起こす。それに伴ってミオグロビンやカリウムといった物質が血中に混じると毒性の高い物質が蓄積される)を回避するため、現在では緊縛止血のために一度締めた止血帯を緩めることはしなくなった。

パニック状態でも使用できるよう工夫

止血帯はこのようなポーチに収納されて手の届くところに装着する。自衛隊のキットには含まれていない。これもまた固定バンドに端が赤くなって容易に認識できるようになっている

IFAK IIの止血帯はその先端が赤く染められている。これは、暗い戦闘場面や負傷によるパニック状態であっても、止血帯先端の発見を容易にするためだ。当初、米軍採用時のCATは、先端まですべて黒いものだった。しかし、黒い帯の面ファスナー上に固定されている止血帯の先端が黒い状態では、先端を探している間に出血が増えて死亡するケースがあった。ゆえに、先端を赤くする改良が加えられた。

ところが陸自仕様に同盟国の教訓が生かされることはなく、先端は黒いままである。先端は黒いままで、止血時間を記録する帯の部分を白色からタンカラーに変えて、事実上は、陸自専用仕様となっている。これは白いと目立つからだというが、大した差があるとは思えない。

日米のキットでは止血可能な時間は20分対120分と6倍も異なる。しかも陸自のキットは止血帯をポーチに内蔵し使い勝手も悪くなっているので、止血に手間取って止血前に大量の出血で命を落とす可能性はより大きくなる。

陸幕衛生部は「個人携行救急品」の人工呼吸用シートを使えば呼吸の確保は可能であり、経鼻エアウェイと同様の機能をもっていると主張する。だが両者には大きな違いがある。顔面の負傷による物理的な気道の閉塞や、治療を待つまでの間に、血圧低下や麻酔等で意識がなくなることで舌が落ちて気管を塞ぎ、呼吸困難に陥るおそれもある。これを防ぐために径鼻エアウェイが必要だ。米軍将兵全員には「回復体位」についての教育がなされているが、戦闘に夢中になるあまり、仰向けに寝せたままにしてしまうことがあっても、気道が確保されるよう、経鼻エアウェイもまた戦闘時の心理状態まで考慮して装備されている。

だがシートと気道を維持するためのチューブとでは構造上の決定的な違いがあり、別物であることは素人でもわかることである。さらに問題であるのは米軍との決定的な意識の差である。人工呼吸用シートは心肺停止状態に陥った際に蘇生用に使用するものである。しかし、外傷による心肺停止の社会復帰率は1%にも満たなく、戦場では人手を必要とする割に効果の無い心肺蘇生を行わないことは軍事医療の常識である。

米軍が「呼吸を止めないようにすること」を追求しているのに対し「呼吸が止まってから対処する」ものを備えている陸自とは考え方が根本的に異なる。戦闘時の医療について研究していれば、人工呼吸用シートと経鼻エアウェイが同様の機能とは言えないはずである。

ちなみに米軍では分隊または車両毎に携行型担架を含めたTFAK(Team First Aid Kit)VFAK(Vehicle First Aid Kit)によりIFAKのアイテム数を補完しているが陸自にはその装備はないので、実戦になれば手脚をもって担ぐか、おんぶして救護員のいるところ、あるいは救急車まで搬送することになり負傷者に大きな負担を与え、症状の悪化や命を落とす可能性が増えかねない。また手脚を失った人間を担架なしでどのように搬送するのだろうか。最近、海上自衛隊でも艦艇用にバックパックに収納できる担架の調達を始めている。

負傷者搬送には通常救急車を使用するが、陸自には装甲野戦救急車は一輛も存在しない。最前線に非装甲の救急車を送れば流れ弾で負傷者はもちろん救急車のクルーも損害を受け、死傷者を増やすだけになりかねない。また衛生用ヘリの活用も未熟だ。陸自には衛生専用ヘリはなく、衛生用のキットを汎用ヘリに搭載して運用することになっているが、数年前に自衛隊中央病院の院長経験者は「陸自のヘリの数が十分ではなく、弾薬や食料などの輸送が優先され、衛生までヘリがまわってこないだろう」と述べている。

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