「たった2行のはがき」で癒やせる"老親の孤独" ポストに投函するまでに5分もかからないはず

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

しかし、いくら嘆いたところで、息子は決して生き返りはしません。医師はどこかで息子を失ったことをあきらめなければいけないのです。

「あきらめなければいけない」と悟ったときほど、残酷な時期はありません。しかし、この目覚めは救いであるともいえます。ようやく執着を手放すことができるからです。これが「聖なるあきらめ」です。

この医師は、息子の死をきっかけに、自分が「世間の目」をいかに気にしていたかということに気づくことができました。息子を通じて、社会的な地位や名誉、収入や財産といったものにこだわっていたのです。悲しみが癒えるわけではありませんが、この学びは医師にとってとても有意義なものでした。

自分の大切にしているものを手放したり、反対に、異なる意見を受け入れるということは、簡単にはできないように思えるかもしれません。でもやってみると、そんなに難しくないものです。人間関係においても思い切って、「聖なるあきらめ」を取り入れてみてください。

「心の掃除」のお手伝いをして、幸福を交換する

両親、親せき、先輩や恩師……。あなたの周りに、社会での活躍を終えて「引退」した世代や、病とともにある人はいませんか。そういう人の中には、寂しかったり気弱になったりしていて、慰めを得たい、退屈をまぎらわしたいと思っている人がいるはずです。

そこで、「心の掃除」をお手伝いするつもりで、話しかけてあげてください。たったひと声かけるだけでよいのです。私はこれを「1ミリの優しさ」と呼んでいます。

聖書には「人が独りでいるのはよくない」(創世記 2章18節)という言葉もあります。

また、孤独というものは、人の免疫力をあっという間に弱めてしまいます。かつての阪神・淡路大震災後、避難所で生活を送る高齢者たちには、はっきりとした違いがありました。

たとえ被害の程度が浅くても、面会者がない高齢者は、多くの面会者が訪れる高齢者よりも、病気にかかりやすかったり、沈んだ表情でいることが多かったそうです。孤独にならないことこそ、心と体を健やかに保つコツなのです。

さりげなくてもいいので、周囲の年長者には温かく優しい言葉をかけたいものです。「最近、調子はどう?」という簡単な言葉で十分なのですから。

次ページ弱っている人が喜ぶ会話とは
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事