「たった2行のはがき」で癒やせる"老親の孤独" ポストに投函するまでに5分もかからないはず
なぜなら、相手とのさまざまな「違い」に気づいても、「聖なるあきらめ」をもって受け入れ、2人で成長し合うことが、結婚の意味だからです。
相手とぶつかったら、「私とこの人は違うのだな」と「聖なるあきらめ」で乗り切る。そのかわり、2人で意見や考え方がぴったり合ったときは「1人のときにはなしえなかった実り」と感謝して、相手と喜び合ってほしいと思います。
育児の渦中にいる方にも、この「聖なるあきらめ」は有益です。親は子どもを自分の「分身」であるかのように錯覚してはいないでしょうか。自分が満たすことができなかった欲求を、子どもに満たしてもらおうと、心のどこかで思ってはいませんか。かなえられなかった夢を、子どもに託してはいないでしょうか。
しかし、子どもは未来からの「預かりもの」であって、あなたの所有物ではありません。子どもに対して、過剰に期待をせず、衝突をした場合は「聖なるあきらめ」の姿勢で接する。これが子育てでもっとも大切なこと。
ただし、あきらめるだけでなく、子どもが成長をしていくために親として子どもを支え導いていくことは、もちろん忘れないようにしましょう。
いつか必ず訪れる大切な人との別れ
親の介護とて同じことです。近年増えているのは、年老いた両親についての悩みです。そのケアをどうするのかで困っている方も多いようです。
ここではまず、解決策を少なくとも4通りは考えましょう。親の介護に限らず、どんな困難でも4通りの策は見つかります。これは昔からいわれていることです。介護でしたら、年老いた親を自分ひとりで面倒をみるのか、親族で分担してお世話をするのか、家庭訪問の介護士に助けてもらうのか、介護施設に預けるのか。これで4つです。
4通りのうちどの方法を選ぶのかは、状況によって変わります。ベストは尽くしてください。ただし、どうしても変わらないことについては、「聖なるあきらめ」を実践しましょう。実現不可能なことを願い続けたり、誰かに何かを期待しすぎることを防げるからです。
また、大切な人との死別のときも、「聖なるあきらめ」が心強い味方になってくれます。
こんな医師の話があります。
彼は自分の息子を医者にしたいと願い、その夢を息子に強いていました。しかし、息子は反発し、非行に走ったあげく、バイク事故で亡くなってしまったのです。医師の嘆きぶりは、大変なものでした。
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