横浜市の公式Webサイトによると、港湾都市としての歴史のルーツは1853年までさかのぼる。同年はかの有名なペリー提督が浦賀に来航し、これまでの鎖国政策から転換して港を開くように要求した。
翌年に江戸幕府は日米和親条約を結び、さらに1858年に日米修好通商条約などの条約も各国と締結。1859年に、神奈川・長崎・箱館(函館)を開港して、幕府は自由貿易を許可した。
開港に当たって、アメリカ側は現在の神奈川区東神奈川辺りの神奈川宿を想定していた一方、幕府は過度に日本人と外国人が交わることを避け、宿場ではない現在の辺りを一方的に開港したという。
もしアメリカがもっと交渉を求めていれば、現在の街にどのような影響を与えていたのかなどを考えると面白い。
風情を感じさせる、山手公園エリア
そこから外国人が流入し、外国人居留地として発展した山手のほうへ足を延ばすと、今でも風情が感じられる。例えば1870年に、居留外国人によってつくられた山手公園はその一つだ。
日本初の西洋式公園として、また日本における近代テニス発祥の地としても知られる。海外から貿易品だけでなく文化も入り込み、新しい発展を遂げた横浜らしさが詰まった公園といえるだろう。
横浜らしさといえば、横浜赤レンガ倉庫も代表的な施設だ。明治末期から大正期にかけて「模範倉庫」として建設され、2002年に展示スペースなどの文化施設、商業施設にリニューアルするとともに、付近一帯は広場と公園からなる「赤レンガパーク」として親しまれている。
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