死期を悟った50代女性が日記を他者に託した意味 末期がんを家族に告げずに逝く覚悟を決めた

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この翌年の2015年に50歳を迎えた。自らの洋裁店に新規のお客さんが来ては喜び、家族や友人と旅行に出かけた旅行記を日記帳の最後にあるフリースペースに詳細にメモしたものも残っている。いつしか夢や現実でDさんのことに触れることはなくなっていった。新たな恋人こそ現れないが、平和で平穏な日々が送れている様子が伝わってくる。

洋裁の仕事に関しては、花柄の手帳の頃から一貫して前向きだ。新たな技法を勉強したり、扱ったことのない生地を見つけて興味深くしたりしている。一言二言の日記でも、数千日分を通読すると、誇りを持って仕事を続けるプロの姿がくっきりと浮かび上がってくる。

暗雲は2016年の夏頃から漂い始める。

日記の終わり

<11時から××で脳のMR
 (略)
 MRの所見、何ともないらしい
 肩こりからくる頭痛か?>
(2015年6月)
<あばらが痛い為
 ××整形へ 折れていた
 痛いはずだ>
(2015年9月)

 

「朝から調子が悪い」が連続する2015年12月の日記(筆者撮影)

不調を告げる短い日記が続く。その色は年が明けると深刻さを増した。少ない文字数で、仕事と交友、身体の不調といった事実のみを淡々と綴るパターンが続く。

<Eと約束していたが
 昨晩腰を痛めた為、
 キャンセル>
(2016年1月)
<新しい仕立てのお客さん.
 今日も腰が痛い>
(2016年1月)

昨年のあばらの骨折もあり、行きつけの整形外科を訪ねると、骨シンチグラフィという検査を勧められる。がんの骨転移が疑われるときに行われる検査だ。紹介されたがんセンターでも転移の疑いがあると告げられた。その数日後には、呼吸困難によって救急車に運ばれた。肺に水が溜まっていると言われた。

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