死期を悟った50代女性が日記を他者に託した意味 末期がんを家族に告げずに逝く覚悟を決めた

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何度も捨てようと思ったが、捨てられなかったそうだ。自分の死後にどうすればいいのかと悩んでいるときに手帳類プロジェクトのことを知り、託すことを決めたとのこと。秘中の秘、プライバシー中のプライバシーに関わる情報を、自らと切り離すことでオープンソースとしてこの世に残すという決断だ。

Mさんがそこまでした背景には何があるのか。それを探る糸口は3冊の日記帳のなかにあるはずだ。志良堂さんから記事化の許しを得て、特別に貸し出してもらった。Mさんの生涯とその内面を追ってみたい。

Mさんが志良堂さんに託した3冊の日記帳(筆者撮影)

バブル時代のトレンディーな空気

Mさんが生まれたのは日本が高度経済成長を続けていた1965年。地元に近い地方都市の短期大学を卒業すると、二十歳から社会人として世間の波にもまれた。世はバブル経済のまっただ中で、街を歩けば華やかな衣服がどんどん目に飛び込んでくる。やがてアパレルの世界に強く惹かれるようになり、会社勤めしながら洋裁の専門学校に通うようになった。

花柄の手帳に日記を綴るようになったのはその頃からだ。主に綴るのは、洋裁と恋愛に関すること。当時交際していた会社の先輩・Uさんとのすれ違いを切なく吐露した翌日に、最近は後輩のK君が気になっているとこぼし、また別の日には、勢いで同期のSとデートすることになったと悩ましそうに語っている。1990年11月の日付けで書かれた日記にはこうある。

<昨日プリティウーマンを見る
 マイフェアレディに似ている様な気がした.
 ジュリア・ロバーツがかわいかった
 シンデレラ物語みたいな夢物語だと思う.
 素敵な洋服がきられて、きれいになって、ハッピーエンド
 やっぱりハッピーエンドで終わらなきゃつまらないよね.>

 

当該ページ(筆者撮影)

当時25歳。Mさんの筆を通して、まるでトレンディードラマの世界のような時代の空気を感じた。

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