死期を悟った50代女性が日記を他者に託した意味 末期がんを家族に告げずに逝く覚悟を決めた

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そうするしかなかったし、自ら納得した結論だった。それでも、諦めきれなかった願望がときどき夢として現れてくる。

<Dの夢を見る
 はっきり思い出せないけど 一緒に住んでた>
(2008年3月)

 

Dさんだけは日記帳でも、多くの場合は「D」と表記している(筆者撮影)

Mさんの日記には昨晩見た夢の話がよく出てくる。ほとんどは思いを寄せている人物が登場するエピソードだ。花柄の手帳の頃にはUさんがよく出てきたが、5年日記ではその座をDさんが奪っていた。

留学先での日々が忘れられない。Dさんと共に暮らしたい思いも残る。しかし一方で、現在の生活に絶望しているわけではないことも日記から伝わってくる。

<病院の検査 異常なし.
 3時間待ち.けっこう疲れた
 結婚の予定は?って聞かれた
 今はとくにないですけど、近い将来あるかな~>
(2008年1月)

この時に思い描いていた相手がDさんだったかはわからない。帰国後もDさんとは国際電話やメールで連絡を取りあっていたが、物理的な距離の問題もあって、直接会った記録は2007年までしか辿れない。Dさんの座を奪う誰かは、その後の日記にも登場しなかった。

術後11年の平穏な暮らし

Mさんが5年卓上日記を使うようになって明らかに増えたのは、体調に関する記述だ。2~3回ページをめくれば、ほぼ確実に「頭痛」や「病院」といった言葉が目に入ってくる。加齢による不調もあると思われるが、乳がんとの闘病を経たうえでの健康意識の変化とみるのが自然だろう。

術後検診の記録も毎年しっかり残している。最初の5年日記では半年に1回ペースだったが、2冊目では1年に1回ペースとなり、2014年まで続けている。

<病院に行く
 10年目.来年から行かなくてよい.うれしい.>
(2014年7月)
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