だが、リーダーシップにまつわる選択の実験の参加者が、紛争のリスクや継続中の戦争といった、安全保障上の脅威に対抗する指導者を選ぶように言われたときには、興味深いことが起こる。これらの実験では、男性らしさの効果が増大するのだ。
実験からは、私たちは危機に際して、より男性らしく見える指導者を無意識に好む可能性が高まることがわかる。不合理ではあるが、その効果が本物であることをデータが示している。
「サバンナ仮説」による説明
ファン・フフトはこの見方――石器時代には優秀な戦士や狩人になれただろう身体的特性を持った男性を、現代の私たちが指導者に選ぶ傾向があるという見方――を、「サバンナ仮説」と呼んでいる。
「進化は、私たちを導く者のテンプレートのセットを私たちの脳に焼きつけた。そして、(たとえば、戦時のように)協調が必要とされる具体的な問題に遭遇したときにはいつも、それらのテンプレートが作動する」と彼は説明する。
権威主義的な有力者が、恐れを搔き立てたり対立を引き起こしたりして権力基盤を固めるのも、それが一因だ(「有力者」、つまり「力を有する者」という言葉があるのは、けっして偶然ではない〔訳注 「有力者」に当たる原書の言葉は「strongman」、すなわち、文字どおりには「力の強い人」〕。
彼らは、脅威に気づいたときには強そうに見える人を頼みとするという私たちの狩猟採集民の本能を作動させているのだ。
私たちは、リーダーシップにまつわる偏見に満ちた性差別的なこれらのテンプレートが、自分たち(あるいは、少なくとも私たちの多く)の内には存在しないふりをすることもできれば、その存在を認めて、それを克服する努力をすることもできる。
だが、その努力を始めても、それは戦いの一端でしかない。自分たちの性差別的な文化によって学習したり悪化したりした内なる女性差別も、克服しなければならないからだ。
サバンナ仮説は、男性指導者を好むバイアスにだけかかわるものではない。もしこの仮説が正しいのなら、私たちはただ男性に引かれるだけではなく、大柄で、堂々たる体軀の男性に引きつけられるだろう。
そして、まさにそのとおりなのだ。権力を手に入れるには、背が高いと有利だ。そして、それは今に始まったことではない。
(翻訳:柴田裕之)
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