捏造(ねつぞう)した履歴書には、男性と女性の名前のリストからランダムに選んだ名前が書かれていた。だから、同一の履歴書が、サラあるいはアレクサンダー、デイヴィッドあるいはアン、ジェイムズあるいはケルシーによって提出されたものに見えた。
違いはそれだけだった。それ以外は、応募者の資質は均等に分布するようになっていた。
公正な世界では名前は評価には関係がないはずだ。だが、私たちは公正な世界には暮らしていない。
教員たちの評価は、一貫して男性の応募者を高く採点し、提案する初任給の額も多かった。評価をしている教員が男性であろうと女性であろうと、違いはなかった。彼らは全員、女性に対する偏見を見せた。
そのような長年の性差別に、社会はゆっくりと目覚めつつある。だが、まだ肝心の疑問に答えが出ていない。そのバイアスは、文化的に学習されただけなのか、あるいは、女性差別も、私たちの有史以前の過去に根差しているのか?
太古から現代までの性差別の例
人間が歴史を記録しはじめて以来、その記録から女性は締め出されてきた。
ケンブリッジ大学教授のメアリー・ビアードは著書『舌を抜かれる女たち』で、太古から現代までの性差別の無数の例を紹介している。
古代の世界では、女性が権力を手にしなかったというだけではなく、女性に権力を与えるという考え方そのものが馬鹿げた概念と見なされることが多かった。
ビアードが説明しているように、紀元前4世紀には、「アリストファネスが喜劇をまるごと1つ費やして、女性が政権を奪取するという『滑稽(こっけい)極まりない』夢想を描いている。その滑稽さの1つは、女性が公衆の前で適切に話せないことだった」。
ビアードが際立たせているが、女性が権力の座に祭り上げられたときには、3つのことの1つが起きがちだった。
第1に、そうした女性は男性的だと評される。つまり、できるかぎり男性を真似したときにだけ、権力の獲得を目指すことができるというわけだ。
第2に、そうした女性がしゃべると、動物が「吠えている」とか「キャンキャン言っている」というふうに描かれる。人間の言語による発話という男性の才能を発揮することが、身体的に不可能というわけだ。
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